7月22日に占領・戦後史研究会で、廣田直美『内閣憲法調査会の軌跡』書評報告を依頼され行った。詳しい内容は『会報』に載せられると思うのでごく簡単に話す。本書は56年岸内閣の時に作られた調査会が改憲促進の予測に反した理由を調査会内部の動きを分析して明らかにしたものでありその実証的貢献はたかいものである。それに対して私は、
1、二つの改憲ー新憲法論 「感情的押しつけ論」に対応する「逆コース的改憲あるいは新憲法」のほかに「占領下に制定された故の押し付け憲法論」に対応する「逆コース的でない改憲あるいは新憲法」はどのようにあり得、それとの関係で55年2月27日選挙をどう位置ずけるか。
2、4潮流と憲法 4潮流のうち自由主義派の美濃部達吉は明治憲法で良し(第一の国体)、社会国民主義派の矢部貞治、蠟山政道は「逆コース的改憲」に反対した(第二の国体)。つまり「第二の国体」の創作を主導する社会国民主義派がいる。
3、“日米護憲連合”による合作としての“日米解釈改憲体制”
非改憲の高柳グループと明文改憲でなく「運用」をよしとするアメリカとの微妙な合作作品としての日米解釈改憲体制。
4、キーマン2人の戦後体制構想ー協同主義と日本国憲法の結びつき
矢部、蠟山とも協同主義的構想を持続し、かつ逆コース的改憲を阻止。かつ三木武夫のブレーン。改憲はしないと述べた池田首相のブレーン、池田内閣は“立憲的開発独裁”ではないか。だから自由主義派ではないのではないか。
蠟山の戦前戦時戦後にわたるフェビアン協会、内外職能原理、脱国民国家、協同的有機体的論理、戦後の福祉国家、世界福祉国家、そのための民主化と計画化などにとっては日本国憲法は不可欠。
なお、戦後史を自由主義と協同主義、第一の国体と第二の国体の4象限で考えることについてはいま準備中の本で触れる。