雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

菅政権の性格

今月11月17日にある研究者から、インターネット上の内田樹さんの最近の評論を紹介されてそれへのコメントを求められたのに昨日、おこたえしたものに少し手を加えたものを書くことにする。

○○先生

 メールありがとうございます。なかなか読ませますね。人事局、小選挙区制、学術会議で官僚、政党人、学者の自立性を奪い、独裁国家、株式会社国家をつくることを自己目的化したのが菅政権との断言は痛快ですね。しかし、最近多くの論者が「真正保守」「真正伝統」の立ち位置をとって、評論をしていますが、ある意味ではそれらの無効の上に上記の事態が展開進行しているのですから、それをふまえた「保守」「伝統」の把握の仕方の見直しとパージョンアップがなければ、客観的には単なる「嘆き」、あるいは無力な「反動」になりかねないと思います。。

 多分、日本も世界的な戦後システムの移行期にあり上記の「国家」のありかたは、目的ではなく移行するための手段の一つの形態だと思われます。しかも多くの国ではポピュリズムとして従来の政党の外部から強くかつ全面的に作用しているのに対して、日本の場合は従来の政党と政治の内部でかつ部分的に進行していますね。つまり従来の政治や運動、制度、の要素、必ずしも新自由主義的でない要素も多分に多様に存在しつつ移行している状況と過程と段階だと思われます。田中派的要素、梶山静六的要素、公明党自民党から共産党までの超党派議員連盟(会長田村厚相)によるワーカーズコレクティブ法案の作成完成、などなどは自由主義というよりは協同主義的要素、や側面といってよいとおもいます。つまり新自由主義的力もふくめ、それ以外の多様な諸力の総合として菅政権はあると思います。

 したがって超越的に一面一要素に還元して論ずるのではなく、多様に介入する契機と必要が、客観的にあるもの、こととして見る必要があると思います。私の最近の著書やブログでのべているように、歴史的に形成され、現に存在している協同主義と自由主義のこの移行期にふさわしい、持続可能な適切な関係と割合をもつ内外にわたるポスト戦後システムの形成のために各領域各分野における検討と提案と介入が必要で可能だと思われます。すみません、すっきりしなくて。当面私はそんなことを考えています。

雨宮昭一、