雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

2021年8月の俳句

五輪に反対だが、柔道とサッカーを楽しんでしまっている。昨日の柔道団体戦で、フランスが金、日本が銀、の結果は、色々な意味で柔道全体にとってベストだと思う。フランスが柔道人口世界一ということもふくめて。さて8月の俳句。

ひたすらに常盤木落葉恋始まる

野分運ぶ踏切の音乳母車

深海の太鼓回され極暑来る

横十列縦十列の赤蜻蛉

十薬に占領されて健やかに

アーテイストは非正規二人の父となる秋

逝く尾崎新入ゼミ生すべてただ泣く

ラベンダー満開微熱の地球

万緑にくるまれていく車椅子

穂含月男の替えはいくらでも

ご近所と日傘かけ分け長話

遠くには別の雲ありゼラニューム

ときわつゆくさ白のみの闇恋順調

背に腹に手に肩に荷の一年生七月

時計草四時間遅れの時刻み

夏空にゆっくり倒れる自転車の人

小蠅にも大小のあり研究棟

届けられし桃主食昆虫となり

双子パンダ交互に母にの姑息を愛す

以上

 

 

「西洋法制」の場に限定してすむか。天皇機関説事件。

 一昨日7月17日に戦時法研究会がラインで行われた。米山忠寛さんが天皇機関説事件について、美濃部達吉の「圧勝」、日本の政党政治に貢献した、などのこれまでの「通説」やイメージと異なる報告をされた。[論争」において美濃部を批判する側の論理や態度を正確に読むと、機関説のみで済まない日本の立憲制を、美濃部を批判する側がおさえており、そこに批判する側の「自信」の根拠があるとし、それは美濃部が憲法よりも行政法の専門家であること、などに起因する、つまり行政としては機関説は成立、完結するが、機関説を超える国家の正統性にかかわる国家理論としては機能しない、とする。

 この問題に対し、水林彪さんが、法学は特別で明治憲法の二つの側面、すなわち、西洋法制と共通する部分と「国体」に関連する、それと異なる部分があり、法学者美濃部は前者にもっぱら依って議論していると整理した。会員からだから現在の憲法学者も論争はその視点から「圧勝」した、と評価していることが紹介された。

  行政学者だから、法学者だからという議論は、法学業界にとっても、それ以外の学問業界にとっても相対化されねばならない。問題は、「西洋法制」か、それ以外か、という二項対立の克服である。憲法はいうまでもなく、共通性を持ちつつ、それぞれの国家や地域の事情や時期により多様であることは自明であろう。それを二つに分けてそれぞれを主張するのではなく、両者の混合をそれ自体として把握し、少し規範的に言えば、その「憲法システム」が、戦前、現在でも、自由主義、資本主義のいきずまりを、ファシズムでも全体主義でもないかたちでいかに展開していくか、を考えることである。戦前でいえば、機関説による美濃部は「法学的」「西洋法制」論的には「完勝」したかもしれないが、「憲法システム」の不可欠な、本質的な、かつ実質的な部分である歴史的政治的な部分では“”完敗“”している。美濃部を批判した「それ以外」の部分も戦争以外の有効な打開策をうみだせなかった。こうした意味でも最近の戦時期研究や、それに関連する米山さんたちの研究は、新たな研究段階をしめしているとおもわれる。

 

 

戦後憲法学の群像と戦後体制の形成・展開・動揺・ポスト戦後体制

 編者の鈴木敦、出口雄一さんから『「戦後憲法学」の群像』2021年、弘文堂、をいただいた。戦後の憲法学を、それぞれを戦後第一世代から第五世代として、啓蒙の憲法学、抵抗の憲法学、制度の憲法学、その後の「護憲」などにニュ₋トラルな憲法学、と区分する。次にその担い手として東大,京大のほかに他の公立大学,私学の憲法研究者の理論活動を丁寧に明らかにする。さらに日本国憲法の舞台の「主戦場」たる「平和主義」「九条」をめぐる学知のコンステレーションと推移が明らかにされる。

 以上を通して本書のフレーズの「「憲法学者」とは何だったか,これから何であり得るか」をかんがえるための憲法学の学知の多様制を歴史的に多角的に明らかにすることに成功している。

 そこで「それから何であり得るか」をさらに明らかにするために、本文献の課題を成功させた法制史という法学と、政治学歴史学との関連で考えてみよう。まず、上記の啓蒙から抵抗への契機として、日本国民の日本国憲法の選び直しの意思を示した1955年の総選挙、その結果による自民党改憲意図の挫折、共産党六全協による暴力による変革の否定、で、憲法秩序への参入、および改憲阻止でまとまった社会党統一の三っつにより構成される55年政治体制と日本国憲法体制の同時成立があったことが明らかにされている(同書4頁、33頁、なお拙著『戦時戦後体制論』127頁)。つまり戦後体制の形成と憲法学の学知のありかたが明らかににされたのである。

 さらに制度論的学知から次の段階への移行は、戦後を持続させているもっとも有力な力は、国際体制における戦勝国システムであり、それを前提とする冷戦体制の終わりと関連しているとされる(同所44頁、なお拙著『占領と改革』ⅲ頁)。つまりポスト戦後体制への移行である。以上から見えることは、「これから何であり得るか」を解明するために、ポスト戦後体制ーシステムの政治学歴史学などによる究明と、法学による憲法学の学知の究明とのリンケージが重要であることがわかる。なお個人的には、共産党六全協による憲法秩序への参入と自民党改憲意図の55年における挫折による憲法秩序への参入を55年体制憲法体制、ひいては戦後体制形成の不可欠の契機とした私の議論および国際体制の動揺によるポスト戦後体制への移行とした私の議論が位置ずけられているのは印象的であった。なお私は自由主義と協同主義の関連を軸にしてポスト戦後体制―システムを考えて居るがそれと憲法の学知を関連させてみたいとおもっている。

 

 

 

ポスト「住宅都市」と「伝統社会]

  本年3月に出版された「和泉市の歴史」第8巻『和泉市の近現代』を先月和泉市からいただいた。執筆者などの広川禎秀佐賀朝、塚田孝、高岡裕之さんは、、学会などで交流して来た人たちである。

 500頁にわたる大著である。和泉市域が農業社会から工業化が開発事業としてなされ、やがて大阪市近郊の「住宅都市」として現代にいたる過程を、江戸時代以来持続する「伝統的社会」との関連、すなわち高度成長期以後の再開発事業などで、それが「最終的に」「解体」し、「都市社会」が完成する過程を詳細に叙述している、特色がある、かつ説得力のある内容である。

 その上で、その到達点とその後について、コメントをする。私が住んでいる小金井市、審議会の委員をしている日野市などを見るといずれも時期的内容的にずれがあるが、近代初期からの農業社会、それに工業化が加わった、農業と工業の地域、次に工業と住宅の地域、やがて住宅都市、となってきている。

 そして現在、そのベッドタウンが転換期にある。すなわち少子高齢化、産業構造の変化、グローバル化などによって、職と住、育、介護、楽、などとの分離、特に職と住の分離というシステムが作動しなくなっている。わかりやすく言えば中心都市に通勤して、眠る都市に税金を払う、ということが上記の要因で、その通勤者がベッドタウン都市の福祉の対象になる、ことなどである。

 その問題をどうするか、つまりポストベッドタウシステムをどうするかがせまられている。それは端的にいえば、職、住、育、楽、介護、などの、特に職と住の再接合、再統合である。つまり職と住などが分離する前に戻る、しかも分離以降の豊かな蓄積をふまえた戻り、でありそれゆえ、再接合、再統合である。その意味で「伝統的社会」が解体して「都市社会」になるとの線型的把握と同時に、[解体」でなくバージョンアップした再生ーバージョンアップした循環過程として把握することも必要であろう。たくさんのことを考える材料を与えてくれる文献である。(なおポストベッドタウシステムについては、私の最近の二つの単著、および近く出版する単著でふれている)

2021年7月の俳句

 新しい本のむすびの内容に関わる報告を2か月ほどかけて準備し、6月27日の協同主義研究会で報告した。出口雄一さんの報告での、我妻栄の戦後の位置取りー1930,40年代の協同体論の重要性を引き継ぐーとそれへの批判をふまえて、もう一度その位置取りが浮上して来た,あるいは浮上させた循環に私がいることは、印象的だった。報告、議論でなったことのない身体運動からではない低血糖症状になった。こうした中でなぜか俳句が結構多くつくられている。感じたことをそのまま詠んでいる。

夏深し怒号絶叫接吻を禁ず

学校を捨て少年の目澄む夏

ベランダの小茄子の濃紫恋終はる

死ぬまでは生きることにするあまりりす

付き人の成長に責任ありと大相撲夏

夏椿風から先に現れる

立ち退かぬ書道教室やまぼうし

一足毎未来の先端あめんぼう

新緑や曲がる一瞬笑ふ水

マリリス違和感なくゐる黒い猫

サンドレス席はしづかに埋まりゆく

死者生者共に笑へる夏の夢

深海に太鼓を回す海鼠

五月雨を写し動かぬ大利根川

単衣脱ぐ前頭葉をおいていく

ワクチン一回は一票政権夏

ワクチンを打つやいちぬけたのか夏

やはらかき刺ベランダにひかる瓜

さみだれをくるくるまはす蝸牛

リンカーンといふ薔薇カラスは寡黙

 俳句ではないがついよんでしまったもの

キャリは詐欺ノンキャリ盗撮経産省

以上

 

 

 

 

2021年6月の俳句

月蝕のむくんだ月と風鈴と

疫の世にそっと風鈴吊るしけり

鏡の奥より響く風鈴午後三時

花忘れ家々うつす目黒川

心音が景色の一部犬の初夏

紫陽花や踏切の音のみの街

声のない声あげて少年初夏

どことなく不機嫌な耳犬卯月

瑠璃戸を少し開けて聞く五月雨を

あきないの風鈴の音のみ深大寺表参道

花あふちむかひの孫の声高し

隣家より昼の風鈴ホームステイ

風鈴や音と風との格闘技

通院路濃い橙の杏の実

ジギタリスはあうつせえうつせえうつせえわ

花の名を持つこの街に時を飼ふ

踏切のすぐに開いて梅雨しげし

梅雨語り洗心佳話に洗われる

通学路に青梅一つ一年生

青嵐スマホあやつる八十婆

アフリカンの腕の太さや快速初夏

老年に老年期の学問あり夏木立

アスファルトのすべてのひびに虞美人草

以上。

 

超高齢化社会を支える高齢者の働き方とシステム

 編集者との打ち合わせもふくめて著書の準備が進行している。新しい論点の一つとして、高度成長の余剰がなくなった段階の「人生百年時代」という超高齢化社会では高齢者も当然その社会を支えざるを得ないが、その時に苦役でない楽しい働き方とシステムを考えている。それは資本主義的働き方のみでない協同主義的働き方にも関連するとおもわれる。それと筆者の「青春期の学問」と異なる「老年期の学問」との関連を、今探求中である。