雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

2022年1月の俳句

 著書の校正が終わってから俳句を90句近く詠んでしまった。そのうちからいくつかを。

書くことはすてることなり寒椿

詠むことは捨てることなり大旦

想起とはふわりと戦ぐ芒原

鯔跳ねてこの世の外に墜ちにけり

助けてと言へなんとかなる寒椿

いい加減に生きろ加減はお前が決めろ

適当に生きろ適当はお前が決めろ

いささかも冬空流れず川流れ

どの花もつくりかえられ薔薇の園

日本語で笑って検挙戦時ブラジル

いささ竹共産ポスター古自転車二日で更地

青桐の実縄文のDNA騒ぐ

十一月薄紫の茄子の花

身と心律儀に洗ふ人スーパー銭湯

寝るところ探している夢冬隣

声立てず話すカップル雲速し

縄文の骸骨に似た人骸骨と見つめ合ふ

川下りの舟死者生者マスクして

漂猫のさっさと過ぎる妻の留守

<奥さんの七回忌を迎えた友人に>

涼しき人と心に生きて紅葉七回

喪いても生きねばならぬ紅葉道七回

あーだこーだを怒るグレタや石蕗の花

ブルージーンズにはかれている老冬麗

オンラインの浮力の中の喜寿の秋

以上。

 

2022年の年賀状

 明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。昨年は病を持ちながらも大過なく過ごすことができました。

 コロナ禍のなかで内外各地、各種十余のオンラインによる研究会に報告もふくめて参加でき、居ながらにしてたくさんの刺激と知見をいただきました。各研究会の運営者の方々に改めて感謝申し上げます。それもふまえて七冊目の単著『時代への向き合い方ー老年期の学問・高齢社会・協同主義』(丸善プラネット社)を上梓いたしました。ブログも俳句も継続して楽しんでいます。

 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます

 2022年 元旦

 雨宮昭一

 

国際における自立的行動の普遍的な正当性の歴史的根拠と方向性

  現在、中国とアメリカがきびしく対立している。これに関して、日本はアメリカに添いつつ、アメリカの方針に必ずしも全面的に従わず行動している。それに対して一部、とくに安部前首相などは、素早くアメリカと一体の行動をとることを主張している。政府は上記の行動を「国益」のため、と述べている。多くの論者もそれ以上のことを言っていない。

 私はその一見「中途半端」「鵺(ぬえ)的」と見える行動を、よりポジティブに根拠ずけるることが必要だし可能と思っている。今度の対立は、覇権、基本的人権、国際秩序、経済利益、をめぐる争いで、相互に関連しているがべつのものである。日本はどちらかに一辺倒になれない「国益」、つまり、覇権国ではない、基本的人権は擁護、国際秩序は相対的に現状維持、経済的利益は米中双方に存在している、ことを守る立ち位置である。その位置をもう少し広く普遍的な方向性に開くことが「国益」をより確実に実現するためにも必要と思われる。それはこれまでの行動と在り方の歴史の自覚的な確認から始まる。日本は敗戦以来、覇権国にはならないこと、戦争をできない、しない、、つまり、紛争を戦争、軍事、によって対処しない国、基本的人権を守る国、として外交も含めて過ごしてきた。それもあって経済的な力をつけ、様々な援助も非覇権的非軍事的におこなわれ、そのことで多くの国、地域から信頼されていることは周知の事実である。

 このようなあり方が敗戦以来76年間、持続展開されてきた。明治維新から敗戦までの近代日本帝国の77年間、と同じである。来年になれば77年と一致する。覇権、非覇権と方向性は逆であり、覇権をもとめた日本帝国は破綻し、非覇権の日本は持続している。しかし国際関係はより積極的な対応が要請されている段階に入っている。奇しくも77年目に。

 つまり、覇権国ではなく、不戦で、基本的人権をまもるやはり長いというべき歴史は、アメリカ、中国の戦争開始をはばみ、非覇権国や地域をむすび、相対的に戦争にならないように、覇権国の覇権をできるだけ減少させ、人権が守られる、国際秩序を作るための貴重な財産であろう。覇権国をそのようなあり方に向けて操作し「善導」するのは非覇権国の不可欠の責任である。さらに市場や国家の暴走を、自由主義でも全体主義でもない形態で解決しようとする戦前以来の協同主義の要素は、自民党や経済界もふくめて政治、経済、社会に多く存在している。それを背景に内外における市場や国家の暴走をコントロールする国際秩序の形成にも貢献できる可能性を持つ。

 以上のような普遍的で、正当な歴史的根拠と方向性を持つことによって、アメリカ、中国などの覇権国から自立した行動ができ、力をもつだろう。それは同時に「国益」をも増進させると思われる(覇権、協同主義については本年12月に上梓した『時代への向き合い方ー老年期の学問・高齢社会・協同主義』丸善プラネット社を参照していただきたい)。

 

西洋思想と法制に還元できるか、還元できない「固有性」を実体化しないで人類史の中に位置ずける。

 12月25日に行われた戦時法研究会のもう一つの報告は森本拓さんの「上杉国家論の法思想的意義の検討」であった。報告はイエリネック以後の上杉慎吉の依拠する思想を緻密に追求し、最後の方では、日本思想史において、個人と国家の関係に着目して整理すると、個人の自立を基本とするロック、カントにつらなる自由主義的国家観と国家への統合を基本とするルソー、ヘーゲルの国家観に分けられる。そして天皇機関説問題における美濃部達吉は前者の系譜に、上杉は後者の系譜に、属する。そして状況が自由主義的な時には前者、総力戦などの時代には後者が支配的になるとする。

 以上の説明はこれまでの機関説問題の美濃部―西洋法制、上杉ー日本的国体という構図を、両者を近代西洋法制、西洋思想で説明したものである。そのことを評価したうえで、はたして全てを近代西洋法制、西洋思想に還元、解消して済むだろうか。その解消できない要素を、その「固有性」「本質」として実体化しないで、解明する必要があると思われる。それは既存の「西洋思想」「東洋思想」をふまえつつ、それに解消できない現象を、人類史の一環として解明することであり、それを通して、西洋、東洋の歴史はもちろん人類史の新たな方法を拡大していくことであろう。かくして、「神秘化」「実体化」されてきたその要素が認識できよう。そして認識が可能になることは、そのコントロールの可能性につながるだろう。

煩悶, 少年義勇軍、二三男問題、土地山林所有権、工業化

 12月25日に上智大学で、戦時法研究会がオンライン併用で対面形式で行われた。実に対面方式は2年ぶりであった。最初の報告は西田影一さんの「加藤莞治における「協同」と「農本主義」」である。都会で育ち、青年期に「煩悶」のなかで天皇を神とするかんながらの道に帰依し、青少年の農業教育にたずさわり、1938年から1945年までの8年間で、自らつくった満蒙開拓団青少年義勇軍訓練所において、86,530人の青少年を「満洲」に送り込み戦後追放、その後、農民学校の校長などをした、加藤の経歴、思想、特に農本主義の精緻な実証を行った今後の研究にとって有益な報告であった。

 私は報告では触れていないことを中心にコメント、感想をのべた。一つには、わたしが調書など詳しく読んだ井上日昭、私が若いころヒヤリングをした橘孝三郎、でも感じたことはいずれも徳富蘇峰のいう明治後期からうまれた「煩悶青年」のごとく、若い時の激しい「煩悶」を持っていたこと、加藤も同様である。煩悶のあと農本主義天皇などにたどりつく。非エリートの場合はその影響や「被害」は身近の小規模なところにとどまるが、エリートのそれは運動や権力とむすびつく場合は甚大な影響と「被害」をもたらす。したがって加藤などの研究には社会人文科学のほかに、心理学、病理学が必要となるとおもわれる。

 二つ目は「満蒙移民」への動機となったといわれる訓練した「小作農民の二三男の営農地のないこと」についてである。この「二三男問題」の「解決」については、1つは戦後茨城県ではこの問題解決のために自民党社会党保革一致で、工業化、工場誘致をおこない、県民所得も全国40番台を10位以内などになっている。もう一つは、戦前「満洲」の開拓業務を現地で行い、戦後に茨城県の開拓行政に関わった県職員のヒヤリングで「茨城県に開拓地はいくらでもある」と感じたということを聞いた。つまり農地や山林の地主制度、所有権の修正である。地主の赤城宗徳などが小作階級に戦時中に土地をわけることの主張もふくめてそのうごきはあったのである。加藤は工業化には反対し、地主制度にはふれていない、ことをどう位置ずけるかは興味あるところである。その他に、排日移民法がなければどうなったかも考えてみたいことだとおもわれた。いずれにしても有意味な研究会だった。もう一つの天皇機関説問題にかかわる報告につては項を改めたい。

 

総力戦体制論の新展開と医療の「社会化」ー自由主義・協同主義の関係と割合と医療制度

 私はこの10年ほどは、戦時の戦後、現代までの連続性を一つの内容とする総力戦体制論をさらに展開しようとして来た。それが、戦時体制は自由主義と協同主義の関係から言えばはじめて上から、下からの協同主義の流れを上から制度化した体制であったこと、その構造を始点としながら以後下から、上からの協同主義潮流と保守と自由主義潮流との関係の中で、共時的には自由主義と協同主義の関係と割合、通時的には相対的に自由主義の強い体制から協同主義の強い体制へたとえば自由主義体制から協同主義体制へ、新自由主義体制から新しい協同主義体制への移行、としてきた(拙著『協同主義とポスト戦後システム』有志舎、2018年、9-12頁など)。以上のことと先週の土曜日、2021年12月11日にオンラインで行われた同時代史学会大会の内容が非常に響きあっていたのでコメントしたい。なお報告の内容はやがて学会誌に載せられるが、ここでは正確とは言えないが私のメモによりまとめる。

 大会では「医療の同時代史」をテーマとして、佐藤沙織さんが「戦後日本における医療の福祉的機能」の報告をされた。報告は世界一病床数があるのに医療ひっ迫になった原因を、病院が民営が多いこと、平時からスタッフ最小で空床がなく経営されていること、とする。それらをもたらした1960年ん代、70年代、80年代の動向を、60年代の政策は公立病院の増加などの「医療の社会化」等がとん挫し、50年代に引き続き開業医の救済と拡大になったこと。70年代は高度成長の影でもある老人医療をめぐって老人医療費無料化などで長期入院が増える。福祉的機能の付加である。80年代になると長期入院の是正がこころみられたが、60年代以来の「開業医のオーナーシップ」は崩れなかったと説得力豊かに報告された。

 二番目は、高岡裕之さんの「1960~70年代の「国民医療」と「医療の社会化」」報告である。報告は医療は公私混合体制で、支払いシステムは国家の統制下におく現代の制度の歴史的経緯を追う。関連する「医療の社会化」についてはすでに1926年に東大社会医療研究会の『医療の社会化』で、①慈善事業、②社団法人、③社会事業として公立、④健康保険法、⑤産業組合、⑥無産者医療運動、が指摘されていること。1930~40年代前半には国民皆保険に連なる「国民健康保険法」と、内閣指名の日本医師会など開業医の統制など「国民医療法」などによる「国営化」が制度化される。

 敗戦後、その「医療法体制」の解体が「自由化、公営化、協同化」のもとになされ、医師会は任意団体、利益団体となる。1958年国民皆保険法が岸内閣下でできる。厚生省は公的医療機関,公立病院を中心とするなど「医療の社会化」を図る。それに対して竹見太郎を会長とする医師会は、医師や支払いへの国家統制、「社会化」として、それを「国家社会主義」「左翼」的として対し,保険組合の解体、診療単価の値上げ、公立病院の「乱立規制」など医師会主導の方針を推進し、自由主義経済社会の医療体制をすすめた。60年代後半から70年代にかけては、社会保障などをめぐる革新のがわの革新自治体の展開など、状況の変化が現れた。社会党の医療供給制度の公共化、として私的営利的なものの規制、医療の社会化、などが、憲法25条やイギリスのシステムなどに関わり、それが、やがて社公民、社会党公明党民社党の共同政策となった。共産党は開業医と無産者保護の運動をしていた。自民党は自己責任、自由主義的な「国民医療対策大綱」を推進しようとしていた。

 コメントとして中北浩璽さんが敗戦後の医療公有化の動きを阻む吉田茂などの動き、高度成長のひずみとして、雇用レジームの外の老人問題の顕在化、老人医療費無料化、革新自治体との関連など有益な論点を指摘された。廣川和花さんは資本主義的営利批判、「脱営利化」、「脱商品化」、「開業医と病院関係団体との関係、など大変有益な論点を提出された。廣川さんは「脱商品化」としての医療の社会化と、「所有型原理医療システム」「自由開業医制」との関係、開業医と病院関係団体との関係などのきわめて有益な論点を提起された。

 以上の内容と前述の総力戦体制論の新展開と関連させてみよう。まず、1926年の文献の①から⑥の6項目、「公共化」、「脱営利化」「脱商品化」など各段階で現れる「医療の社会化」は協同主義の内容とかさなるといってよい。それに対する「所有型原理的医療システム」「自由開業医制」「オーナーシップ」などは自由主義の内容である。この協同主義は上からの協同主義と下からの協同主義があり、上からであるが、初めて制度化されたのは戦時期である。そこでは、わたしもふれてきた医療分野では開業医の自立性への統制、、価格の統制、「国営化」などが制度化された。勿論開業医たちも対抗していた。それが原型構造となり、この上から下からの協同主義と自由主義との関係と各レベル、局面における関係と割合の変化が展開する。GHQは下からの協同主義と自由主義を上から強制した。その後50年代から80年代までの展開の後、新自由主義、医療でいえば一切の余裕のないシステムが進行して、コロナ禍で医療ひっ迫をおこす。関係と割合でいえば異常に自由主義が強く多くなったのである。とすれば通時的にはそれをふまえた新しい協同主義が強く多くなるシステムが展望されよう。

 以上の総力戦体制論の新展開については「脱商品化」などもふくめて、最近上梓した『協同主義とポスト戦後システム』有志舎、2018年,および本年2021年12月20日に出版される拙著『時代への向き合い方ー老年期の学問・高齢社会・協同主義』丸善プラネット社、を参照していただきたい。

 

 

 

 

時代への向き合い方-老年期の学問・高齢社会・協同主義

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 写真表題の本が本年12月20日に丸善プラネット社から、出版されます。ブログでも部分的に触れてきたテーマをまとめたものです。もし興味がございましたら読んでいただくと幸いです。