雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

国際における自立的行動の普遍的な正当性の歴史的根拠と方向性

  現在、中国とアメリカがきびしく対立している。これに関して、日本はアメリカに添いつつ、アメリカの方針に必ずしも全面的に従わず行動している。それに対して一部、とくに安部前首相などは、素早くアメリカと一体の行動をとることを主張している。政府は上記の行動を「国益」のため、と述べている。多くの論者もそれ以上のことを言っていない。

 私はその一見「中途半端」「鵺(ぬえ)的」と見える行動を、よりポジティブに根拠ずけるることが必要だし可能と思っている。今度の対立は、覇権、基本的人権、国際秩序、経済利益、をめぐる争いで、相互に関連しているがべつのものである。日本はどちらかに一辺倒になれない「国益」、つまり、覇権国ではない、基本的人権は擁護、国際秩序は相対的に現状維持、経済的利益は米中双方に存在している、ことを守る立ち位置である。その位置をもう少し広く普遍的な方向性に開くことが「国益」をより確実に実現するためにも必要と思われる。それはこれまでの行動と在り方の歴史の自覚的な確認から始まる。日本は敗戦以来、覇権国にはならないこと、戦争をできない、しない、、つまり、紛争を戦争、軍事、によって対処しない国、基本的人権を守る国、として外交も含めて過ごしてきた。それもあって経済的な力をつけ、様々な援助も非覇権的非軍事的におこなわれ、そのことで多くの国、地域から信頼されていることは周知の事実である。

 このようなあり方が敗戦以来76年間、持続展開されてきた。明治維新から敗戦までの近代日本帝国の77年間、と同じである。来年になれば77年と一致する。覇権、非覇権と方向性は逆であり、覇権をもとめた日本帝国は破綻し、非覇権の日本は持続している。しかし国際関係はより積極的な対応が要請されている段階に入っている。奇しくも77年目に。

 つまり、覇権国ではなく、不戦で、基本的人権をまもるやはり長いというべき歴史は、アメリカ、中国の戦争開始をはばみ、非覇権国や地域をむすび、相対的に戦争にならないように、覇権国の覇権をできるだけ減少させ、人権が守られる、国際秩序を作るための貴重な財産であろう。覇権国をそのようなあり方に向けて操作し「善導」するのは非覇権国の不可欠の責任である。さらに市場や国家の暴走を、自由主義でも全体主義でもない形態で解決しようとする戦前以来の協同主義の要素は、自民党や経済界もふくめて政治、経済、社会に多く存在している。それを背景に内外における市場や国家の暴走をコントロールする国際秩序の形成にも貢献できる可能性を持つ。

 以上のような普遍的で、正当な歴史的根拠と方向性を持つことによって、アメリカ、中国などの覇権国から自立した行動ができ、力をもつだろう。それは同時に「国益」をも増進させると思われる(覇権、協同主義については本年12月に上梓した『時代への向き合い方ー老年期の学問・高齢社会・協同主義』丸善プラネット社を参照していただきたい)。