新しい本のむすびの内容に関わる報告を2か月ほどかけて準備し、6月27日の協同主義研究会で報告した。出口雄一さんの報告での、我妻栄の戦後の位置取りー1930,40年代の協同体論の重要性を引き継ぐーとそれへの批判をふまえて、もう一度その位置取りが浮上して来た,あるいは浮上させた循環に私がいることは、印象的だった。報告、議論でなったことのない身体運動からではない低血糖症状になった。こうした中でなぜか俳句が結構多くつくられている。感じたことをそのまま詠んでいる。
夏深し怒号絶叫接吻を禁ず
学校を捨て少年の目澄む夏
ベランダの小茄子の濃紫恋終はる
死ぬまでは生きることにするあまりりす
付き人の成長に責任ありと大相撲夏
夏椿風から先に現れる
立ち退かぬ書道教室やまぼうし
一足毎未来の先端あめんぼう
新緑や曲がる一瞬笑ふ水
アマリリス違和感なくゐる黒い猫
サンドレス席はしづかに埋まりゆく
死者生者共に笑へる夏の夢
深海に太鼓を回す海鼠
五月雨を写し動かぬ大利根川
単衣脱ぐ前頭葉をおいていく
ワクチン一回は一票政権夏
ワクチンを打つやいちぬけたのか夏
やはらかき刺ベランダにひかる瓜
さみだれをくるくるまはす蝸牛
リンカーンといふ薔薇カラスは寡黙
俳句ではないがついよんでしまったもの
以上