3月14日の雪ははげしかった。大きな牡丹雪が1時間ほど、ついでごく短時間粉雪、そして霙がしばらくつづき、雨となった。その間2時間ほどであった。ついつい春の雪などを詠んでしまった。
前の世に見しごとき街春の雪
休校の公園の子らに春の雪
不機嫌な鴉コンビニ春の雪
狭庭狭庭狭庭狭庭春の雪
他人事のように消えゆく春の雪
三月二十五日の朝ごはん
平時の死戦時の死三・一一
以上
3月14日の雪ははげしかった。大きな牡丹雪が1時間ほど、ついでごく短時間粉雪、そして霙がしばらくつづき、雨となった。その間2時間ほどであった。ついつい春の雪などを詠んでしまった。
前の世に見しごとき街春の雪
休校の公園の子らに春の雪
不機嫌な鴉コンビニ春の雪
狭庭狭庭狭庭狭庭春の雪
他人事のように消えゆく春の雪
三月二十五日の朝ごはん
平時の死戦時の死三・一一
以上
2年前の2018年3月に上梓した『協同主義とポスト戦後システム』(有志舎)の表紙の帯の裏と表の見事な文章を編集者であり社長である永滝稔さんが作成された。著者の私が付け加えたのは、唯一、「株主主権」のみであった。表の文章は
新自由主義の時代から新しい協同主義の時代へ
「自己責任」「市場中心」「株主主権」という旧い体制を越え、新たなオルタナティブを歴史の循環から理論化し、現実の地域で生起している動きと連動させつつ、新しい日本社会が進む方向を指し示す。
である。この「株主主権」を越えることについて、内外の経済界、財界から動きが始まり始めている。『朝日新聞』2020年3月12日朝刊では、関西経済連合会会長松本正義氏がそれを伝えている。
1970年代に「会社は株主のもの」「企業は株主利益の最大化に専念することが社会のためになる」というミルトン・フリードマンの考えが支配的になったことから始まる。それが目先の利益の重視と社会の格差・富の偏在に帰結している。
それに対して世界の政財界のリーダーの集まりである「世界経済フォーラム」(ダボス会議)は、本年2020年1月に「マルチ・ステークホルダー・キャピタリズム」をテーマにした。つまり顧客、従業員、地域社会、取引先、株主などすべてに貢献するという内容である。その内容は日本でも既に追及されつつあるし追及しないと「周回遅れ」になることなどを松本氏は指摘している。
2年前には「旧い」と言い切るのは大変だったが、株主主権システムを超える動きが地域や運動のほかに内外の経済界、政財界でもはじまっていることに注目したい。
この間、カール・ポランニーの『大転換』および『カール・ポランニー伝』のいずれも500頁近い2冊を読み、1頁に要約しかつ私の問題意識の文脈に位置ずける作業を10日間で行い、やっと『地域総合研究』(本年3月)に載せる研究ノートの校正が終わった。ポランニーはどう考えても“協同主義者”と呼びたくなる誘惑にかられたことは、研究ノートに書いておいた。
かつ、この間私が主催するものも含めてあらゆる研究会、シンポ、ついには句会まで中止になり、閉門蟄居、少なくとも閑居させられて不善をなす以外になかった。
ということでこの間詠んだ俳句
紅梅を咲かさせている変電所
鯔(ぼら)であることはなぜ春運河
土塊の面魂や春一番
エスの字に跳ぶごんずいのふじびたい
混血の犬富士額日永かな
めはなだちよき地域猫はるじおん
みめのよきいぼいのししやひめじおん
ちゅういんがむの包装緑春惜しむ
いつまでも不明のおとこ日永かな
日永かな不明のおとこゆるく起き
春蝉の充実の地下七年
戦なくば戦前戦後なし五月
雲たった一つ浮く北多摩の日永かな
この世あるまえからの大銀杏
初めての春雨映る赤子の瞳
連翹やめはなだちよき地域犬
きだてよくみめはいまいち地域猫春
以上
すごく締切りに迫られているのに、いるゆえに、ある人から私に雪の俳句がない、といわれてついつい、雪の俳句で遊んでしまった。
雪白く影は真白くなべて闇
ひとり居の雪降る甲府けふも雪
やや重き雪のかささしおみな来る
雪の声竹林の中頻々と
透き通る富士の雪降る甲斐連山
以上
「協同主義研究の様々な課題と様々な立ち位置ーポスト戦後体制と内外の当事者性、メタ、既成制度」ならびに「「協同主義とポスト戦後システム」再考ー社会的連帯経済、再編福祉国家論、MMT」の『地域総合研究』に載せる予定の二つの研究ノートを仕上げる時間を過ごしたが、その楽しさとしんどさの中でずいぶん俳句を楽しんでしまった。
間氷期かなし二月のコンビニ
リアルとはかくも透明ねこやなぎ
大寒や不幸はなべて自己責任
梅一輪ひらき連山なべて碧
一月の流しの中のねぎの皮
掃除して刺身を置いて子の帰る
へそまがりてふスナック閉じて冬の空
大寒や不幸はなべて他人ゆえ
結局は一人なんだよ福寿草
太古より恋は孤悲なりヒヤシンス
一人ゆえ人いつくしむ寒夕日
梅一輪遵守順応即励行
盛り上がり音なく疾し冬の川
以上
昨日4日、「人々の経済政策研究会」などで知られている松尾匡立命館大学教授のhearing調査に参加した。友人の大嶽秀夫氏および木寺元明大教授のさそいであった。
二人からは現在の政党研究の一環としてれいわ新選組との関係がきかれた。松尾さんからは山本太郎代表と経済政策を主とした連携がはなされた。これらについては、やがて起こされて発表される予定なので、ここでは私の関心に関連したことを書く。
いくつか興味深いことがあるが、一つめはMMTとの関連である。私はMMTと協同主義との関連を昨年12月15日の協同主義研究会で報告するために調べたときには、松尾さん達とMMTはほとんど同じものとおもっていた。基本的には、不況の時はケインズ主義政策で、完全雇用になったら新古典派の政策に帰結するサミュエルソンの新古典派総合に帰結するとして。松尾さんはMMT理論とは自分達は政策もモデルもちがうと話された。
二つ目は、消費税を廃止
ないし5パーセントまで戻すことを主張されてきたことをめぐってである。松尾さんは「リベラル」の中でもそれをめぐって対立があることを話された。私は上記の報告で、ネオリベラルと権威主義でない方向性のためには、消費税は20パーセント近くにしてセーフティネットの基盤をスティブルにして、かつ「反緊縮」と「緊縮」を自覚的に操作することが、つまり消費税と反緊縮は共存出来るのではないか、としたことを話した。松尾さんは左派ポピュリズムに肯定的立場から反消費税、反緊縮、を話された。
三つ目はそれとも関連するが、井出英策氏
の主張との違いである。松尾さんは消費税増税分をすべて福祉にまわすこと。借金返済にしてならない、との主張は評価出来るが、哲学が異なる。井出さんは社会を対等な市民の共同体とするが、松尾さんは構造的に不平等な社会であり、それが階級の問題だと話された。これは二カ月前のブログで、プーランザスに関わる階級にたいして私は、資本主義システムとして多数派形成を考えるべき、といったことと関連するとおもった。
たくさん考えることが多い有益な機会を与えていただいた松尾さん、大嶽さん、木寺さんに感謝します。
京都駅から会場の京大正門前までバスで行ったがかなり長い道で、京都がいかにスモールビジネスが多いか実感できた。スモールビジネスは豊かな多様性を支えると思われる。東京でも地方都市でもスモールビジネスがほとんどなくなりチェーンストアが多くなっていることと比較出来るような気がした。