雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

11月の俳句

11月11日三鷹山本有三記念館への吟行

柊の花の中なる白い闇

母として人として女の一生薮柑子

冬館松の巨木のきっぱりと

冬麗ら抵当流れの館かな

初時雨路傍の石の薄明かり

時雨るるや路傍の石に日を残し

吟行句会の後の座にて

笹鳴きや鳴かず飛ばずの昭和人

われらなほ昭和の男女薮柑子

昭和遠し水虫双六ところてん

平成も昭和も生きてほや食らふ

勉強しなおす楽しさ

 筆者は自分が住んでいるところ、働いているところから問題を考え、それを研究の課題にしてきた。住み始めて十二年になる小金井市も四年前に大学を退職して以来その課題を考えてきた。市の公民館の勉強会や講座の中から「雨宮ゼミ」がつくられ、市における福祉、財政、などを議論してきた。この一年程は市の近現代史を資料集やヒヤリング資料をつかって見てきた。その具体性、オリジナルな具体性はいつもの通りであるが既存の既得のモデルや理論では説明できない。

 1、近世からの歴史をふまえたこの地域の今後の展開、2、近世以来のこの地域の生活の困難の解決の仕方と今後、3、この地域の政治的社会的政策決定の困難さ。という課題を解明するためには歴史をふまえたオリジナルな蓄積を見てしまうと既存の既得の方法では困難であることが実感される。

 現在、市域を対象とする「市民運動新聞」」に連載の途中であるが上記課題の解明のために改めて筆者の既存、既得のモデルや理論を勉強しなおしている。1、についてはポストベッドタウン論のこの地域へのくぐらし方、『地域協働の科学』2005年、成文堂、『地域社会の構造と変容ー多摩地域の総合研究』中央大学出版部、1995年、戸所隆『地域政策入門』2000年、古今書房、柳瀬昇『熟議と討議の民主主義理論』2015年、ミネルヴァ書房等々たくさんの前に読んだり、買っておいた文献が筆者(雨宮)が現在考えている課題と方法(たとえば最初の本の佐藤滋論文の営利でも行政でもない社会力の議論、三番目の本の公私空間の止揚と共用空間創造などは、協同主義と深く響き合う)と新しい対話が出来て楽しい。2,について新旧住民の分断対立よりも農村の都市化、現在の都市の農村化という構造変化もいれて考えると、両者の連携、連帯こそが解明さるべき。3、については、熟議、政党論、ハーバマス、ルーマン論争まで改めて戻って勉強しなおしている。地域のオリジナルな事態はオリジナルな方法を要請する。その二つを出会わせるために勉強しなおすのはつまり研究者が自らの次元を変えるのは、これまでと同様大変楽しい。

 関連するが最近ミネルヴァから出版された上下七百頁におよぶ小室直樹さんの評伝を一気に読んだ。大学院と田無寮で同じ時期を過ごした人であった。もちろん小室さんを中心であるが当時の時代の知的状況も見事に再現されているすぐれた文献である。筆者はこの文献から当時同室だった医学部の学生だった人と五十年ぶりに会えることになった。

 

 

シャッターのあるいは「シャッター街」の再定義と地域形成

 9月16日にオープンした「art' isozaki](水戸市三の丸1)に9月22日に行ってきた。水戸市の中心の地域の一つであり雑居ビルがシャッターが閉められている状態で数年後には「再開発」されるかもしれない地域でもある。

 このアートギャラリーの「こけらおとし」として招かれた現代美術家雨宮庸介の「作品」はいろいろな意味で興味をひくものである。一つは展示されている人の手とそれにいだかれた実物大のリンゴの彫刻である。ここには作品そのもの、およびその展示の仕方を通して、「物事の境界線とはいったいなにか」「本物か偽物か」といった物事の境界線の再考をせまっている。

 もう一つの「作品」はテーマを「あ、あな、あなた」「A Hoie  ,and You]となずけているようにこの雑居ビルの「リノベーション」そのものである。まずこれまでは捨てられたシャッターに穴をあけたことである。そしてそれが出入口になっている。さらにこれまでのように引き剝がされ真新しいタイルにかえられる床を丁寧にそのまま清掃しニスを塗っている。作者は「ピカピカの何かにするのではなく、この古いビルを生かしたありのままの水戸を肯定したいと思った」「一番の見どころは、ギャラリー内からシャッターの穴を通して見える水戸のまちそのもの。水戸の全部が役者で魅力」とのべる(「水戸にアートギャラリー 商業空間をアート空間に、見どころは「まちそのもの」ー茨城」みんなの経済新聞、yaHOOニュース、9月20日)。

 この作品における穴のあいたシャッターは[内」からは直接往来する多様な市民や車や自転車やベビーカーが見え、[外」からは落ち着いた床などが見える、かつ「穴」から出入り自由である。つまりこれまで内と外の境界であったシャッターの意味を変えている。それはこの地域の「現在」そのものの動的な表現でもある。つまり内からと外から人々の歴史的営為、人々そのもの、そして街が芸術作品であることにきづかせてくれる。さらに床においてはこれまでとこれから、つまり[過去」と「未来」の関係ずけに関わる。これまでの床を剥いでピカピカのタイルを敷くのは過去の否定から未来を始めることである。それに対してこれまでそこに住んだり働いたり訪ねたりした人々の足跡や人々の何かをこぼしたり塗り直したり掃除したりしたものが重なっている状態を、つまりは人々の歴史的営為を保存し可視化することによって未来につなげようとしている。以上の本物と偽物、内と外、過去と未来の境界の再定義のほかに、展示の仕方において「表」と「裏」の境界の再定義がなされている。展示は一階だけではなく四階まであり様々な仕掛けがなされているが、一階の展示においてはこれまでの展示空間だけではなくその準備室と倉庫まで「展示」している。つまりこれまでの表と裏の境界を越えているのである。

 以上の本物と偽物、内と外、過去と未来、表と裏、などの境界の再考をこころよく迫る、あるいは楽しませる諸「作品」の評価とは別にこの諸作品を筆者の専門に近い「地域形成」、「再開発」、「シャッター街」などに関わらせてみたい。これまでの地域の再開発は「古く」なったものをすべて壊してスクラップして新しい建物を作る、という思想、哲学、でなされてきた。これは全国でも地域でも狭い商店街やビル街でもさらに個々の建物のリノベーションでも古いものを壊して「あたらしい」「ぴかぴか」のものを、というその思い込みがつずいている。しかし国や自治体が補助金などで補助して行っても、さらに低成長下では将来にわたる借金である国債、地方債で行っても、短期的に一時的に雇用をや需要を作っても、少子化、高齢化、低成長の下では、すぐに次の「スクラップ」の対象状態になる。そして上記の「新しさ」もすぐに陳腐化する。人々の感性が底の浅い「ぴかぴか」を受容しなくなったのである。こうして財政難からも再開発を強行するか、放置するかの状態に移行しつつある。「再開発」の場合も古い建物の外壁だけを残して、あるいは屋根だけを残して内部を全部変える方式が多い。

 以上のような「再開発」、放置、再開発の微修正、という現状と比べると上記の「諸作品」の地域形成における重要な位置と意味が際立つ。人口が減り、高齢化し、かつ低成長の下で、ピカピカの新品でなく、これまでの地域の人々の歴史的営為を美的に継承し、お金をかけずに、豊かに生きていける在り方を既存のシャッターの再定義、外壁のみならず床の再定義、などなどによって表出している。お金をかけないということは後に負担を残さないことでもあるが、「ぴかぴか」の「新品」ではなく、また個々の建物に自己完結的にすべての機能を完備するのではなく、高度成長期に集積したトイレなどの公的インフラとの分担や近くの建物との分担なども自覚的に行えば可能であろう。つまりこれからの地域形成にこの「諸作品」は一つのモデルを提供しているといっていいだろう。

 もちろんこの作品はたくさんの人々との協同でつくられたものである。ギャラリーの磯崎寛也さん、たくさんの実業家の方々、工務店の桑名武之さんなどが時には議論しながらつくったという。筆者がみていてもいずれもわくわくと楽しくやっていることであった。さらに一時間半ほど現場にいたが、勤め人、高齢者、高校生、予備校生、ベビーカーの女性など多様な人々が「穴」をくぐり、のびのびとおもしろがっていた。話しを聞いてみると上記の再定義、による解放感を感じていることである。このプロジェクトに関わった人たちが、そして見た人達が感じている気持ちよさはそこにあるだろう。以上はアートと生活と地域形成におけるその境界の創造的な越え方をも表現しているとおもわれる。

 

 

 

 

九月の俳句

 秋蝶に兵士の列の乱されず

 竜胆と竜胆柄の江戸小紋

 無人駅コスモス毎の風の色

 酔芙蓉うすべに色の午後一時

  俳句でも短歌でもないが

 ぼくがなにをしたのと五歳の被爆児言ひて逝きたりと

 

 

世界史と同期する中国共産党

 三品英憲さんから『中国の国家体制をどうみるか―伝統と近代ー』(汲古書院、2017年)をいただいた。ここではその中の三品さんの論文「近現代中国の国家・社会関係と民衆ー毛沢東期を中心に」にコメントをしたい。三品論文の30年代40年代の中国共産党中央の少数の地主が大多数の小作を土地所有と現実で圧倒的に支配している、との農村認識が現実とギャップがあるのに、それを修正しないで基層幹部・党員の「階級的不純」に由来するするものとして各過程で処理したことによって、操作性が高まり、その構造が中華人民共和国に連続していく、との分析は豊富な史料と理論展開とあいまって説得力がある。それを前提にした上で中国史には全く無知な者の思いついたことを書いておく。

 その一つは中央が上記農村認識を修正しない理由と背景についてである。逆にある戦略と認識があってその「認識」をつくったのでないか、つまり現実の自作農中心の農村秩序の破壊こそがその基本にあったのではないか。面白いのは基層幹部・党員たちもその秩序からの影響と規定を受けていることへの中央の不断の警戒は見事にそれを示しており、史料も示している。

 上記破壊の方法も「群衆」をつくり今ある秩序を壊す方法である。この「群衆」は中央は知っていたかもしれないが、ルボンのいう無定型で暗示で動く「群衆」に近いのではないか。そしてこの破壊はグライヒシャルトンクである。それは古いもであれ新しいものであれ、封建的なものであれ近代的なものであれ、自立性を有するものを破壊することである(雨宮『戦時戦後体制論』岩波書店、1997年)。その意味では中国共産党は世界史と同期する現代性を共有していると思われる。“自作農中心の農村”の“自立性”の存在と契機と可能性、ドイツ、日本、ソ連など他の場所ではグライヒシャルトンクの後があるが、中国でもポストグライヒシャルトンクなどを考える余地があると思われる。以上はあまりに中国の「伝統」に還元することへの違和感からのものでもある。

 

8月の俳句

相聞の河鹿の声のくぐもりて

空論と空理の境生業の秋

ちゅーちゅーと原爆の日のドリンクを飲む

合縁と奇縁のあはひ蜻蛉交

渓流に揺るる鬼百合闇香る

その先を迷っておりぬ瓜の蔓

揺れやまぬ一木の一葉秋意かな

川は澄み河鹿は鳴けり物な思ひそ

 病院を三歩離れて蝉時雨

 

 今月は俳句を考える時間が多かった。