雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

出版記念会と四月の俳句

4月15日日曜日に小金井市のマロンホールで地元小金井市の「雨宮ゼミナール」の方々による拙著『協同主義と戦後システム』有志舎

、の出版記念会がひらかれた。27名参加され、地元の人、若い研究仲間、茨城大学獨協大学で教えたゼミ生などがそれぞれ10人ずつぐらいで、中身や地域の実情を踏まえた一人一人のお話と議論がなされ、楽しく有意義なあつまりだった。ありがとうございました。その時の私の講演は基準は現地からつくられなければならないこと、たとえば細分化された政治会派にわかれ、、かつ物事を決定しなければならない小金井市のいまは、強い政党とか、二大政党制とかの旧来の、また外からの基準やモデルではとけず、この地域の歴史的社会的政治的現実の中からつくりださなければならない、などを話した。4月25日には違う研究会にでたがキャリア官僚出身の研究者がすぐに組織を作ることをのべるのを聞いて、それは誰も責任をとらず、かつむだなエネルギーとコストを費消させ、人を疲労させることを指摘した。また本日、占領,戦後史研究会ニューズレターに原稿を送った。

 

4月の俳句

感傷を紡ぐちからや桜貝

世の中はかなり塩味桜餅

四月馬鹿花粉症の大鴉

四月馬鹿猫の長考とどまらず

大朝寝楽観主義に転換し

大花見少し外したサキソフォーン

大花見アジア各語の朗らかに

子の植えし白もくれんの咲き充ちて

『戦時期の労働と生活』法政大学大原社会問題研究所の2,3の論文について

出口雄一さんと米山忠寛さんから『戦時期の労働と生活』法政大学出版会、2018年をいただいた。第八章戦時期の生活と「遵法運動」と題する出口さんの論文は国家法秩序と社会規範の分立をめぐる動きの実証的な論文でありその歴史的法学的位置と意味をみごとにあきらかにしている。遵法運動を近代主義者や伝統主義者などがどう意味づけたかなど大変興味深い分析である。そのうえでのことだが、統制経済や法とことなる親戚や恩顧者、知人等の関係による「違反行為」の評価については伝統主義者も近代主義者も否定的であるが、国家、資本から自立して生活をなし、防衛する社会の存在としての新しい評価が必要ではないかと、考える。この点について特に感じたのは、拙著『協同主義とポスト戦後システム』有志舎を上梓したばかりであるかもしれない。

 第九章昭和戦時期日本の国家財政と家計、は米山さんの論文である。国家財政と家計をつなぐものが貯蓄奨励であることに注目してそのメカニズムとして、戦費支出による資金投下、インフレすなわち市場に金があふれ物質不足になる事態を強制ではなく防止するために貯蓄奨励が行われる。そこでは戦争によってゆたかになる国民への、あるいは国民一般への国家の「懇願」のありようも析出される。第十章パーマネント報国と木炭パーマ(飯田未希)もおもしろかった。贅沢などと禁止されたと思われているパーマネントが戦時中返って増加

していること。権力の側は「呼びかけ」程度

だったが「当時の新聞」が「禁止命令」のように提示したとの指摘などである。  

 支配と抵抗、民衆は貧困状態にある、等などの認識枠が支配的であり、戦時に民衆も「上昇」し、権力が民衆に依存し多様に対応する、ことなどを指摘しなければならなかった1970年代80年代(たとえば拙稿「1940年代の社会と政治体制」1988年。後に『戦時戦後体制論』1997年、岩波書店に収録)に比べると昔日の感が深い。上記各論文はそれらを実証的にも構造的にも鋭く豊かに展開されていることに敬意を表したい。

 

 

三月の俳句と吟行の場所

雪曝し四十八茶百鼠

春の闇乗せて空っぽメリーゴーランド

雪解光紙漉く村を両断す

以上が句会にだした句である。また5月の吟行の幹事を依頼されたので場所をかんがえた。今まで行ったり聞いたりした場所は例外なく名所旧跡、公園である。私はより日常的で市井のありかたが集まった場所が、と考えちかくのイトウヨーカ堂東館西館を第一候補に挙げて、会員の意見をきいた。幸い賛成された。詠まれる句がたのしみである。

市制60周年、歴史、課題

2月17日に「小金井市民運動新聞」の編集部の人から、市制60周年を迎えるにあたり、私が現在、市民講座で行っている「小金井市近現代史から小金井市の現状と課題を考える」の内容を8回から10回ほど連載したいとの依頼があった。3月に上梓される本のあとは今の地元の歴史をきちんと調べようと思っておりその具体化の一つでもあった市民講座で講演し参加者と議論したこともいれてまとめようとしていたこともあって快く担当させていただくことにした。大変幸運でもあるしだいである。誕生日の一日前というのも縁をかんずる。前から考え表明してきた、、この市における連帯、互助、社会形成、ポストベッドタウン、内外循環、生活の質などを軸にして考えて行きたい。

 

2月の俳句

いい人でなくてもいいの猫柳

抱き上げる赤子哄笑冬銀河

牽くは老牽かれるは幼冬椿

 

「戦後レジームからの脱却」と沖縄

 昨2月8日戦後体制研究会の研究例会があった。自民党衆議院議員宏池会国場幸之助さんのインタビューがおこなわれた。沖縄の保守故の特徴でかつその課題の複雑性や先端性ゆえに保守そのものの先端的普遍性につらなることを感じた。

 特に印象的であったのは、「沖縄メディアを抱擁するのが沖縄保守」と言われたことである。これは基地問題などに批判的で百田氏等からつぶすべきといわれるメディアである。さらに「ぶあつい保守の会」をつくり自民党安倍一強体制と異なる若手の勉強会をつくり活動したことである。

 さらに安倍首相が「戦後体制からの脱却」というなら沖縄の置かれた状態からの脱却もはいらなければならない、との主張である。たしかに沖縄の置かれた状態は戦後体制の不可欠な一環である。しかも興味深いのは、その沖縄問題の解決に力を入れたのは戦後体制の政治における主役といってよい田中角栄派や宏池会の政治家達であった。つまり戦後体制を維持しつつ戦後体制を越えるか、脱却によって越えるか、そして各々可能性が検討されなければならないと思われる。後者については脱却派は戦後体制の所産であり不可欠の一環である沖縄問題は「脱却」しない状態である。前者はまだ可能性は残っていると思われる。たいへん新しい知見を与えられたインタビューであった。

 国場さんの話を聞いて自由主義と協同主義を横軸に第一の国体と第二の国体を縦軸にして現在日本の政治や社会のシ諸潮流をかんがえると第二の国体と自由主義と協同主義の混合の象限が非常に生き生きとイメージできた。さらに付け加えると沖縄と本土という比較のしかたとことなってたとえば中央や大都市を介さない比較、たとえば沖縄と甲州の比較、中世、近世ではみんな違うしそれぞれが外交権もふくむ自立性をもっていたのは共通である。(この比較のしかた、戦後の超え方ー越え型とこの諸潮流の詳細については3月に上梓される『協同主義とポスト戦後システム』(有志舎)を参照)

唯武器論と朝鮮問題

 唯武器論とは1933年に毛沢東が「持久戦」という著作のなかでのべたものである。戦争の勝敗は武器のみによって決まらない。きめるのは物ではなく人である。持久戦争になれば敵の武器も消耗したり士気がなくなったり、国内での厭戦、国際世論の非難などの武器以外の要因で勝敗が決まる。それを考えない思考を唯武器論といっている。

 いまの北朝鮮核兵器をめぐるありかたはアメリカも北朝鮮も両方ともこの唯武器論で動いているようにおもわれる。

 たしかに武器以外のソフトが武器大国である相手以上であった日中戦争時の中国、ベトナム戦争の時のベトナムなどは勝利した。しかし必ずしもそうでなかったイラク戦争リビア戦争のときは武器大国が勝利した。後者の場合はそのうえに報復攻撃する武器を持たなかったが故に攻撃されたのである。北朝鮮は微妙である。一定のソフトを使用しつつ上記

の武器を持つに至っている。あるいみでは稀有な唯武器論による均衡、危うい均衡に至っているといってよい。つまり日中戦争ともベトナム戦争とも、イラク戦争ともリビア戦争ともことなってもし戦争になれば広い範囲の核兵器戦争になるだろう。。

 今までと異なる唯武器論の克服、が要請される。つまりこの段階と特徴に即した武器を使わずに人、士気、厭戦、国際世論などを通しての解決である。