雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

蝋山政道における起承転結

この間体調を崩し、ブログを休んでいたら何人かの若い友人から「催促」もあり、体調も回復してきたので書くことにする。

この間、『占領戦後史研究会ニュースレター』2018年6月に「戦後体制の言説生産の場と主体」という文章を書いた。そこでは蝋山政道が戦後体制の言説のメインコンテンツとして、第二の国体、協同主義、福祉と協同主義のための開発と経済の高度成長、を述べてきたこと、晩年にはそれらの特に開発の限界を自ら自覚していたこと、そのあとを私達はどう引き受けるか、を記した。蝋山のある側面の起承転結を、あるいは戦後体制のある側面の起承転結が書けたかもしれない。

 もう一つはこの間の米朝会談の位置と意味である。長いメモを書いたが文章にするのは後にする。この会議は、不断に「ならず者国家」を生み出す「無条件降伏モデル」に基づく戦後体制の一つの越えかた、超えかたの実践であり、それによる次元の変化を前提として外交や民間の刷新がなされる必要があると思われる。

 

 遅れたが6月の俳句

決勝の壁と希望へ雲の峰

たえまなき迷子放送若葉光

粗塩で食みし青梅遠い空

花あふち一日(いちひ)一時(いちとき)一事(いちじ)を愛す

 

 

吟行場所としてのスーパーマーケットとその結果

昨日、市井の日常の場の一つとして選んだスーパーマーケットに吟行した。そのあとの句会ではいつになく豊富で多様で具体的な俳句が披露された。

カーネーションのあたりの品の影深き(いつこさんー以下さん省略)

メロディーとともに売らるる新茶かな(ひでお)

一望の

棚商いや風は初夏(じゅんこ)

ピンヒール試すをんなや夏帽子(みさ)

レジ前に並ぶ籠みな春キャベツ(みさ)

などなどかあり、先生の特選も普段のニ、三倍であった。今回の吟行の場所設定は会の

俳句の刷新というよりも次元をあげたとおもわれる。

 わたしも日常を日常として詠むために言葉を出来るだけ無意味にかつ言葉の間を出来るだけ無関連に詠むことにいたった。それが

厚揚げとパンツあがなひ新緑へ

である。これをほとんど正確に解釈して推薦してくれた会員がいた。その他に私が詠んだ句。

 ひっぺがす玩具売り場の五月の子

それぞれの孤独五月のフードコート

それぞれを知らず五月のフードコート

整理用品の整理必要夏に入る

君のままでいいといふ本梅雨の入り

紋白蝶斜めに降りて風を裂く

出版記念会と四月の俳句

4月15日日曜日に小金井市のマロンホールで地元小金井市の「雨宮ゼミナール」の方々による拙著『協同主義と戦後システム』有志舎

、の出版記念会がひらかれた。27名参加され、地元の人、若い研究仲間、茨城大学獨協大学で教えたゼミ生などがそれぞれ10人ずつぐらいで、中身や地域の実情を踏まえた一人一人のお話と議論がなされ、楽しく有意義なあつまりだった。ありがとうございました。その時の私の講演は基準は現地からつくられなければならないこと、たとえば細分化された政治会派にわかれ、、かつ物事を決定しなければならない小金井市のいまは、強い政党とか、二大政党制とかの旧来の、また外からの基準やモデルではとけず、この地域の歴史的社会的政治的現実の中からつくりださなければならない、などを話した。4月25日には違う研究会にでたがキャリア官僚出身の研究者がすぐに組織を作ることをのべるのを聞いて、それは誰も責任をとらず、かつむだなエネルギーとコストを費消させ、人を疲労させることを指摘した。また本日、占領,戦後史研究会ニューズレターに原稿を送った。

 

4月の俳句

感傷を紡ぐちからや桜貝

世の中はかなり塩味桜餅

四月馬鹿花粉症の大鴉

四月馬鹿猫の長考とどまらず

大朝寝楽観主義に転換し

大花見少し外したサキソフォーン

大花見アジア各語の朗らかに

子の植えし白もくれんの咲き充ちて

『戦時期の労働と生活』法政大学大原社会問題研究所の2,3の論文について

出口雄一さんと米山忠寛さんから『戦時期の労働と生活』法政大学出版会、2018年をいただいた。第八章戦時期の生活と「遵法運動」と題する出口さんの論文は国家法秩序と社会規範の分立をめぐる動きの実証的な論文でありその歴史的法学的位置と意味をみごとにあきらかにしている。遵法運動を近代主義者や伝統主義者などがどう意味づけたかなど大変興味深い分析である。そのうえでのことだが、統制経済や法とことなる親戚や恩顧者、知人等の関係による「違反行為」の評価については伝統主義者も近代主義者も否定的であるが、国家、資本から自立して生活をなし、防衛する社会の存在としての新しい評価が必要ではないかと、考える。この点について特に感じたのは、拙著『協同主義とポスト戦後システム』有志舎を上梓したばかりであるかもしれない。

 第九章昭和戦時期日本の国家財政と家計、は米山さんの論文である。国家財政と家計をつなぐものが貯蓄奨励であることに注目してそのメカニズムとして、戦費支出による資金投下、インフレすなわち市場に金があふれ物質不足になる事態を強制ではなく防止するために貯蓄奨励が行われる。そこでは戦争によってゆたかになる国民への、あるいは国民一般への国家の「懇願」のありようも析出される。第十章パーマネント報国と木炭パーマ(飯田未希)もおもしろかった。贅沢などと禁止されたと思われているパーマネントが戦時中返って増加

していること。権力の側は「呼びかけ」程度

だったが「当時の新聞」が「禁止命令」のように提示したとの指摘などである。  

 支配と抵抗、民衆は貧困状態にある、等などの認識枠が支配的であり、戦時に民衆も「上昇」し、権力が民衆に依存し多様に対応する、ことなどを指摘しなければならなかった1970年代80年代(たとえば拙稿「1940年代の社会と政治体制」1988年。後に『戦時戦後体制論』1997年、岩波書店に収録)に比べると昔日の感が深い。上記各論文はそれらを実証的にも構造的にも鋭く豊かに展開されていることに敬意を表したい。

 

 

三月の俳句と吟行の場所

雪曝し四十八茶百鼠

春の闇乗せて空っぽメリーゴーランド

雪解光紙漉く村を両断す

以上が句会にだした句である。また5月の吟行の幹事を依頼されたので場所をかんがえた。今まで行ったり聞いたりした場所は例外なく名所旧跡、公園である。私はより日常的で市井のありかたが集まった場所が、と考えちかくのイトウヨーカ堂東館西館を第一候補に挙げて、会員の意見をきいた。幸い賛成された。詠まれる句がたのしみである。

市制60周年、歴史、課題

2月17日に「小金井市民運動新聞」の編集部の人から、市制60周年を迎えるにあたり、私が現在、市民講座で行っている「小金井市近現代史から小金井市の現状と課題を考える」の内容を8回から10回ほど連載したいとの依頼があった。3月に上梓される本のあとは今の地元の歴史をきちんと調べようと思っておりその具体化の一つでもあった市民講座で講演し参加者と議論したこともいれてまとめようとしていたこともあって快く担当させていただくことにした。大変幸運でもあるしだいである。誕生日の一日前というのも縁をかんずる。前から考え表明してきた、、この市における連帯、互助、社会形成、ポストベッドタウン、内外循環、生活の質などを軸にして考えて行きたい。

 

2月の俳句

いい人でなくてもいいの猫柳

抱き上げる赤子哄笑冬銀河

牽くは老牽かれるは幼冬椿

 

「戦後レジームからの脱却」と沖縄

 昨2月8日戦後体制研究会の研究例会があった。自民党衆議院議員宏池会国場幸之助さんのインタビューがおこなわれた。沖縄の保守故の特徴でかつその課題の複雑性や先端性ゆえに保守そのものの先端的普遍性につらなることを感じた。

 特に印象的であったのは、「沖縄メディアを抱擁するのが沖縄保守」と言われたことである。これは基地問題などに批判的で百田氏等からつぶすべきといわれるメディアである。さらに「ぶあつい保守の会」をつくり自民党安倍一強体制と異なる若手の勉強会をつくり活動したことである。

 さらに安倍首相が「戦後体制からの脱却」というなら沖縄の置かれた状態からの脱却もはいらなければならない、との主張である。たしかに沖縄の置かれた状態は戦後体制の不可欠な一環である。しかも興味深いのは、その沖縄問題の解決に力を入れたのは戦後体制の政治における主役といってよい田中角栄派や宏池会の政治家達であった。つまり戦後体制を維持しつつ戦後体制を越えるか、脱却によって越えるか、そして各々可能性が検討されなければならないと思われる。後者については脱却派は戦後体制の所産であり不可欠の一環である沖縄問題は「脱却」しない状態である。前者はまだ可能性は残っていると思われる。たいへん新しい知見を与えられたインタビューであった。

 国場さんの話を聞いて自由主義と協同主義を横軸に第一の国体と第二の国体を縦軸にして現在日本の政治や社会のシ諸潮流をかんがえると第二の国体と自由主義と協同主義の混合の象限が非常に生き生きとイメージできた。さらに付け加えると沖縄と本土という比較のしかたとことなってたとえば中央や大都市を介さない比較、たとえば沖縄と甲州の比較、中世、近世ではみんな違うしそれぞれが外交権もふくむ自立性をもっていたのは共通である。(この比較のしかた、戦後の超え方ー越え型とこの諸潮流の詳細については3月に上梓される『協同主義とポスト戦後システム』(有志舎)を参照)