雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

赤の静謐

今度の選挙の基本的な争点は戦後体制の越え方である、との私の指摘に賛成される意見があった。選挙のことも考え、出版する本の校正も行い、発句もしてしまった。

  10月の俳句

メタリックな赤の静謐曼珠沙華

風よりも視線にゆるる曼珠沙華

亀石は西に向かはず曼珠沙華

実柘榴の充実の赤空を咬む

歓びの大盤振る舞い嬰九月

今度の選挙の争点は戦後体制の越え方

争点は、日本国憲法、その憲法に規制された安全保障、必ずしも新自由主義的でない社会保障、外国人との共生などを要素とする戦後体制をどうするかである。

 安倍自民党も小池希望の党改憲憲法に規制されない軍事的安保、新自由主義、日本ファーストなどで戦後体制を越えようとしており、小池の方が過激であるが越え方としてはおなじである。それに対して立憲民主党共産党社民党などはニュアンスは異なるが戦後体制を壊さずそれを基盤に戦後体制をこえようとしている、といってよい(戦後体制の越え方については雨宮『戦後の越え方』日本経済評論社、2013年)。

 このようなこれからの国民や国家の将来を決める大事な選挙で安倍が小池か、のようなところに争点があるわけではない。

戦後体制の最悪の越え方ー超え方の大連立ー政権交代が争点ではない

この数日間の政治の動きははげしい。小池百合子氏の主張には賛成できないが、まさに見事な政治というアートをあやつる卓越したアーティストである。このまま進むと自民党が辛勝するにしろ、希望の党が大量進出などいずれにしても考えられるのは、改憲新自由主義、など、私の言ってきた戦後体制の越え方パート1の大連立ー維新の会や日本の心なども入ったーが形成され一挙に推進されそうなことである。もんだいの焦点は安倍か、小池の政権交代ではないのである。

 この事態を見据えてそれを如何にチェックするか、相対化するかをパート1にいくことを是としないものは考えて行動したり、報道の仕方や視点を自覚的にかんがえるべきではないか、と友人のマスメディアに勤める友人にはなした。

白の密度

協同主義に関する本を準備していて、どっと初校が送られて来ている。余裕がないので九

月の俳句を記しておく。

団子虫反転するや秋思あり

白桃の白の密度や迎鐘

中天の柄杓のしたの秋思かな

 

8月の俳句

 大変な暑さと湿気の中で飯田泰三さん、出口雄一さん、坂野潤治さんの文字通りの

大著をやっと読み終えたがその感想をこのブログにも載せようと思ったが体力気力が追いつかないのでそれはおいおいすることにして俳句をかく。

8月の俳句

星祭逢へぬ予感は太古より

夏陰や街年毎に白々と

百日紅冷房いらずの一夜あり

憲法体制を支える言説生産の場としての憲法調査会。日米解釈改憲体制としての憲法体制。

 7月22日に占領・戦後史研究会で、廣田直美『内閣憲法調査会の軌跡』書評報告を依頼され行った。詳しい内容は『会報』に載せられると思うのでごく簡単に話す。本書は56年岸内閣の時に作られた調査会が改憲促進の予測に反した理由を調査会内部の動きを分析して明らかにしたものでありその実証的貢献はたかいものである。それに対して私は、

1、二つの改憲ー新憲法論                                      「感情的押しつけ論」に対応する「逆コース的改憲あるいは新憲法」のほかに「占領下に制定された故の押し付け憲法論」に対応する「逆コース的でない改憲あるいは新憲法」はどのようにあり得、それとの関係で55年2月27日選挙をどう位置ずけるか。

2、4潮流と憲法                                           4潮流のうち自由主義派の美濃部達吉明治憲法で良し(第一の国体)、社会国民主義派の矢部貞治、蠟山政道は「逆コース的改憲」に反対した(第二の国体)。つまり「第二の国体」の創作を主導する社会国民主義派がいる。

3、“日米護憲連合”による合作としての“日米解釈改憲体制”

 非改憲の高柳グループと明文改憲でなく「運用」をよしとするアメリカとの微妙な合作作品としての日米解釈改憲体制。

4、キーマン2人の戦後体制構想ー協同主義と日本国憲法の結びつき

 矢部、蠟山とも協同主義的構想を持続し、かつ逆コース的改憲を阻止。かつ三木武夫のブレーン。改憲はしないと述べた池田首相のブレーン、池田内閣は“立憲的開発独裁”ではないか。だから自由主義派ではないのではないか。

 蠟山の戦前戦時戦後にわたるフェビアン協会、内外職能原理、脱国民国家、協同的有機体的論理、戦後の福祉国家、世界福祉国家、そのための民主化と計画化などにとっては日本国憲法は不可欠。

  なお、戦後史を自由主義と協同主義、第一の国体と第二の国体の4象限で考えることについてはいま準備中の本で触れる。 

 

格差、コミュニティ、私的所有権

 この間いくつかの研究会に出席したが印象に残ったことに感想を書くことにする。少し前になるが5月28日に本当に久しぶりに歴史学研究会大会現代史部会に参加した。それぞれの報告、コメントにたくさんのことを教えていただいたが、1つは格差が偏差値的格差でとらえれていて例えば50年、25年前の格差の下での格差に苦しむ人の具体的な生活のありかたと比較して今の格差の意味をつめることが必要とおもった。2つ目は再開発などにより解体される様々なコミュニティの評価をより多面的に行う必要である。つまり一方的に被害者としてみるのではなく、次の新しいコミュニティへの条件としてみることでもある。これらの点については準備している本で詳しく触れる。

 7月17日にユーラシア研究会によるロシア革命100周年の研究会に参加した。やはりたくさんのことを教えていただいた。とくに池田嘉郎さんの報告は面白かったがそこで素人だから誤解しているかもしれないが、ロシア革命や現在まで続くロシアのあり方は西欧諸国のように私的所有権が根ずかず利害調整ができないことにある、とのおはなしであった。聞いているとなにか運命的にそうですべてをそれつまり社会に私的所有権がなくそれを基にする調整ができない、ことに還元するのか、あるいはすべての地域はその私的所有権と調整をモデルとしてがんばるべきだという前からパターンは違うがある話になるのかと思った。その二つ以外で何を語るかが課題であるように感じた。他の報告ではシベリア出兵については私も今からずいぶん前に『近代日本の戦争指導』(吉川弘文館、1997年)で当時の研究では解明されていなっかった撤兵過程もふれた。日本の出兵勢力の意図がロシア革命をつぶすことよりシベリアに「大緩衝国」を作るなど日本の利権拡大にあったこと、それが撤兵のありようを多様に規定したことなどはすでにそこで述べていたが報告ではそれ以上のことが聞けなかったと思ったのは当方の聞く能力の減退の可能性がある。