雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

2021年3月の俳句

おほかたは水に流さず春ショール

打ち上げられし巨船の角度春の月

大地溝帯を走る人々大旦

校庭の空に溶け込む蛇口の氷柱かな

   とも

一病が悪友への魔除け初桜

野馬はひらがなだろう かげろふ

藪椿一輪づつの墓参り

下萌えをボールのごとく犬走る

恋猫の闇の少なしベッドタウン

水仙をじつと見ている警備員

ポットなる春の闇から湧く珈琲

春一番コロナの街をめくりあげ

春雨に突然さす日と鳴く鴉

春浅し少年ひたすら自捕自投

アスファルトに節分の豆一つ

ゆきのはて別れはつらし焼肉うまし

少年疾走春を追い越す

連翹を抜けて黒猫となりにけり

明=ミョウメイミン呉漢唐音ゆたかなり

蒲公英の黄のみ光れる急斜面

間氷期とある窓辺の紋黄蝶

下萌えや右往左往のビニール袋

呼びかけに弥勒の笑みを昏睡の母

 以上

 

 

都市の農村化と農村の都市化の交錯ー田園都市構想とポストベッドタウンシステム

 かねてからの友人である先崎千尋さんから著書『評伝山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』2021年1月、日本経済評論社、をいただいた。著者も組合長や町長などで関わった茨城県の、戦前、敗戦直後、高度成長期、高度成長後から現在における農業の変遷を「後進性」との闘い、を軸に鹿島郡行方郡ー鹿行地域の主要なリーダーの動きを中心に描いた作品である。

   明治初期の自給的農業から商品経済の遅れた戦前の茨城の農村、敗戦後の小作階層を基盤とする耕作地獲得をめざした山口武秀をリーダーとする農民運動、耕作地を確保した農民たちの農業経営の要求に沿った自民党補助金政治、同じ課題に米プラスアルファ方式を打ち出した山口一門をリーダーとする玉川村農協、高度成長の中、県知事岩上二郎、山口一門、らによる「生産第一から生活第一へ」を目指した「田園都市構想」の模索と展開、その挫折の現在、という流れを本書は見事にえがいている。

 ここで田園都市構想の展開とその帰結の位置ずけを考えてみたい。本書はハワードの田園都市論を次のようにとらえる。農村における心身の健康と活動性と、都市における知識と技術的便益と政治的協同、との結婚であること。そこでは「村落地帯に取り囲まれ、その土地はすべて公的所有かコミュニティに委託され」「職・住・楽を一体として保障」し、全ての住民は「農,工、商、サービス業」ではたらく、と(214頁)。

 もともとハワードの田園都市論は都市問題の解決として提起されたものであるが、茨城でのそれは、集落を基礎とする農村生活の改善計画であったことに特徴を持つ。都市問題ではなく「農村計画」であるという。生産第一主義から生活第一主義へ、個人の生活改善から集落全体の環境改善へ、補助金目当てではなく自分たちの計画つくり、具体的には生産と生活の場の分離そのための生産団地と住宅団地造成などである。

 その実行の結果は、確かに生産性や生活水準の指標が最下位に近かった地域が、現在の鹿行地域のように日本有数の園芸産地になるなどがあるが、全体としては農業の兼業化、農林漁業の衰退,,農村集落の混住化、などとなり、またリーダーの山口一門なきあと玉利農協がなくなるなど「元の木阿弥」(252頁)となったり、「田園都市づくり」は「過去のものとなって」(255頁)しまったという。

 私は、田園都市構想の新たな実現の契機が以上の過程も含めた現在の都市と農村の状況にあると考えている。まずその一つは農村の都市化の進行である。それは上記の農村生活の改善の生産と生活の場に分離などは農民生活の都市型への方向をもち、兼業化、混住化は働く場所の多様性、生活する場所に住む人々の多様化である。農村からの田園都市構想の、集落からの田園都市構想の実践はそれを促進させた。

 二つ目は、三つ目は都市の問題である。情報化、グローバル化などにより、大都市以外の膨大な数である地方都市は、第二次産業第三次産業の衰退、人口減少などに逢着している。その結果、たとえばある県庁所在地の都市では中心部も含めてそこらじゅうに空き地がふえ、それがほとんどすべて駐車場となっている。このような状況は、大都市の中心部以外も含めて全国に見られるだろう。このような状況に対して様々な「町つくり」の試みがなされているが大きな方向性が見えないように思われる。都市と農村との関連でいえばどう見えるだろうか。上記の駐車場は産業上からも人口上からもいずれ機能しなくなるとしたらその後をどうするかである。それは端的にいえば、その膨大な空き地を農地にすること、それは農場、家庭菜園、市民農場とすることである。都市以前のしかしその後の都市化のもたらしたゆたか条件を踏まえた新たな農村化、都市の農村化である(それも不可能ならば自然であったその後の豊かな蓄積をふまえて自然にお返しすることである)。それは過剰なグローバル化、過剰な成長主義、過剰な自然破壊の克服につながる食物の自給自足、自然の復活、農業を身近にする新しい豊かな生活様式の展開となろう。それは新たな「田園都市」ではないだろうか。

 三つ目は二つ目と関連し共通性をもつが、都市からの問題である。都市と地方の問題を、一方に限界集落を、もう一方に大都市中心部をおいて論ぜられることが多い。しかし、その中間に膨大なベッドタウン地帯、都市近郊地帯があることが忘れられている。この膨大な地域も、高齢化、人口減少、産業構造の変化などにより転機にたたされている。ベッドタウシステムは職と住の分離であるが、都市中心部で働き、郊外で生活をする、その人が住民税を払うことによってなりたつが、たとえば高齢化がすすむとその人が近郊地域の福祉の対象になることなどである。その問題の解決は、ベッドタウン化以前の状態、すなわち職、住、楽、遊、学などの形態としての再接合、再近接、再結合である。それはたんなる再帰ではなく、ベッドタウンの豊かな財産をふまえた再帰である。つまり螺旋的な再帰である。このポストベッドタウシステムもまた新たな「田園都市」と関連を持つように思われる。

 かくして現在における農村の都市化と都市の農村化の交錯、コロナ禍でも明らかになった職住接合、近接もふくむポストベッドタウシステム化は、新たな「田園都市」への確かな方向性を持つように思われる。そしてその「田園都市」は土地のコミュニティ委託、公有も含めて市場の論理とは異なる契機を有している。以上の方向性は、コロナ禍で露呈した市場の論理の暴走、その市場によるグローバル化、自然破壊などの限界を地域において克服するものでもあろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月の俳句

恐竜を祖にもつ白鳥のその声

雪しきりエンゲルス読む午後三時

親方のこらえ涙や照ノ富士賜杯

一叢に一輪づつの寒椿

野良の径映画帰りの冬銀河

みどりなき土にやはらか春の雨

透明な城といふもの姫路秋

大寒や猫背を直せと猫にいふ

寒明くる親子にされたやまとやま

樺の木のてっぺんに寒鴉

おひつかれ鴉にのまれる雀の子

花もなき花壇ふうわり春の風

芒原月の温もりこぼさざる

ふかれ立ち色をひきずる落葉かな

介護する人のこころの冬景色

荒波にこころの澱散る冬の釣り

マスクした冬の漢の逸らした目

大寒や踏切の音街無言

蟻急ぐ碧い地球の間氷期

こっとんと月あらわれぬ鰯雲

一月の公園凧低きまま

少年のピアス光れる冬銀河

大寒やすっからかんと街に出る

以上

 

 

 

 

「個人的性愛」の「現実化」と協同主義

 私が研究員をしている法政大学大原社会問題研究所から『大原社会問題研究所雑誌』748号、2021年2月号、が届いた。「イギリス工業化社会における労働者階級家族と子供たち」を主題とする特集がくまれている。その中の「エンゲルス『起源』の「二つの生産」と労働者階級家族」という原伸子氏の論文に触発された論点を書いてみたい。

 原氏の整理によるとエンゲルスは、直接的な生命の生産と再生産の二つの生産があること。うまり家族における人間自身の生産と資本主義的生産があること。「所有」のあり方から、来るべき社会において、社会の大部分が社会的所有になるとき、財産相続を幹とする家族の経済的根拠が消失し、「個人的性愛」などの「現実化」となる。子供たちの養育や教育は公的な事項となる(前掲書、7,8,9頁)とのべている。

 ここでは特集では直接的には触れられていない「個人的性愛」の「現実化」を考えたい。育児や子育てなど家族の役割の社会化は、エンゲルスの時代とことなり、福祉国家、女性労働の調達、女性の高学歴化などにより、資本主義の必要からの偏在性をもちながら進展してきている。このことはエンゲルスが述べた家族の経済的社会的根拠の喪失を意味するだろう。つまり「来るべき社会」の前に事態が進行しているのである。そしてその家族は主として一夫一婦制である。一夫一婦制の解体、相対化は未婚者の増大、ひきこもり、ひとり親家庭の増大、家族形態の多様化などとして現れている。

 この事態は、当面、ひとり親女性などに困難をもたらせている。その解決は必要であることはいうまでもない。他方で一夫一婦制の相対化は、根拠が少なくなっているのに、それに従う無理から人々を開放している側面がある。その意味では制度から解放された個人の自由の増大という意味があるだろう。資本主義の論理などからのその自由の偏在をいかに普遍的にするかが、問われているとおもわれる。

 その課題を全体主義でも自己責任論の自由主義でもないかたちで解こうとするとどのようなありかたがあるか、の探求が必要とおもう。それを互酬、再分配、市場、その担い手の社会的連帯経済、国家、市場の組み合わせによって解決せざるを得ないとおもわれる。以上に関わるモデルを、7年前の教職の退職以来、著書『協同主義とポスト戦後システム』2018年,本年3月に掲載される予定の「研究ノート」をふくむ2019年、20年2本、の4本の「研究ノート」で考えてきたが、それらをふまえて上記の部分的に進行している「ポスト一夫一婦制」における、つまり「一夫一婦制」の解体、相対化の進行のもたらす課題とその解決を考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

2021年1月の俳句

除夜の鐘太平洋の空の色

しっかりと寒夜は暗き父母の街

歳月は毎秒ご破算去年今年

母の作品として我喜寿の暮

スーパーの角を曲がって新年の来る

勉強からきし独楽最強の児輝きて

オンラインプレゼン中の猫の恋

それぞれの子供躍らす落葉溜まり

竃猫不幸なければ幸のなし

俳句など忘れてしまへリラの冷え

寺裏に布団ほされて数え日                           探梅の人に一声饒舌に

グレン・グールドのバッハのアリア無為となり大晦日

出前人座るや「きつい」と冷えた席

悲しみを子供にも分け春隣

運び来られし晦日そば一食を慈しみ

欅の木まあるく冬の空支え

寡黙寡黙寡黙快速コロナ冬

以上

 

2021年の年賀状

 明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

 昨年は協同主義研究会、五つ程の学会、研究会でのオンライン参加と報告(戦時法研究会)をいたしました。以前より多く、以前には戻らないでしょうね。

 新しいことは四月に俳句結社「澤」に加入したことでした。「前の世に見しごとき街春の雪」「秋蝶に兵士の列の乱されず」の二句が選にのりました。屋根,、雨樋など家の修繕をし、自分の老化と家の壊れのシンクロがなくなり、身体・心・知の構成が爽快な職人さんたちと楽しいつきあいができました。

 さらに恐ろしく細かいゴミの分別ができ、またベランダでの小さな循環社会のの試みや、ブログも続けています。家族は元気ですが会えないことが大変つらい一年でした。

 今、1月半ば締め切りの研究ノート「四潮流論から協同主義研究へ」の完成に苦闘しています。それは、十三年前に岩波新書で、また三年前の著書でふれてきた、日本の近現代史を、自由主義と協同主義、市場と協同、資本主義と協同主義の共時的には両者の同時存在とその割合、通時的には自由主義から協同主義へ、新しい自由主義から新しい協同主義への、螺旋的循環として把握できる、との論点が、この現在のコロナ禍で、現在でも世界的な空間でも、新たな展開がもとめられていると思うからです。

 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 2021年 元旦

  雨宮昭一

非既成勢力の自己革新と占領軍の物語

 中村元さん、笹川裕史さん、高岡裕之さんから笹川裕史編『現地資料が語る基層社会像』汲古書院をいただいた。全体に興味があるが、ここでは中村元さんの書かれた、「第5章 戦時戦後日本社会と露天商集団」にコメントをする。表題のテーマを実証的に論じた優れた作品である。その論点は一つは総力戦体制による強制的平準化の前にその集団の中に変化があったこと。二つ目に占領軍などはその集団を「封建的」として解体しようとしたこと、である。

 第一点については、「既成勢力の自己革新」が日本の「ファシズム体制」や総力戦体制を構成したが、“”非既成勢力の自己革新“”もあったことをこの論文はのべている。第2点については、まず占領軍のストーリーの相対化の必要という論点であり、つぎにその集団の“自己革新”の方向性と内容である。それは自由主義と異なる協同主義の契機である、と思われる。著者は続稿を準備しつつあるとのこと期待して待ちたい。