雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

「西洋法制」の場に限定してすむか。天皇機関説事件。

 一昨日7月17日に戦時法研究会がラインで行われた。米山忠寛さんが天皇機関説事件について、美濃部達吉の「圧勝」、日本の政党政治に貢献した、などのこれまでの「通説」やイメージと異なる報告をされた。[論争」において美濃部を批判する側の論理や態度を正確に読むと、機関説のみで済まない日本の立憲制を、美濃部を批判する側がおさえており、そこに批判する側の「自信」の根拠があるとし、それは美濃部が憲法よりも行政法の専門家であること、などに起因する、つまり行政としては機関説は成立、完結するが、機関説を超える国家の正統性にかかわる国家理論としては機能しない、とする。

 この問題に対し、水林彪さんが、法学は特別で明治憲法の二つの側面、すなわち、西洋法制と共通する部分と「国体」に関連する、それと異なる部分があり、法学者美濃部は前者にもっぱら依って議論していると整理した。会員からだから現在の憲法学者も論争はその視点から「圧勝」した、と評価していることが紹介された。

  行政学者だから、法学者だからという議論は、法学業界にとっても、それ以外の学問業界にとっても相対化されねばならない。問題は、「西洋法制」か、それ以外か、という二項対立の克服である。憲法はいうまでもなく、共通性を持ちつつ、それぞれの国家や地域の事情や時期により多様であることは自明であろう。それを二つに分けてそれぞれを主張するのではなく、両者の混合をそれ自体として把握し、少し規範的に言えば、その「憲法システム」が、戦前、現在でも、自由主義、資本主義のいきずまりを、ファシズムでも全体主義でもないかたちでいかに展開していくか、を考えることである。戦前でいえば、機関説による美濃部は「法学的」「西洋法制」論的には「完勝」したかもしれないが、「憲法システム」の不可欠な、本質的な、かつ実質的な部分である歴史的政治的な部分では“”完敗“”している。美濃部を批判した「それ以外」の部分も戦争以外の有効な打開策をうみだせなかった。こうした意味でも最近の戦時期研究や、それに関連する米山さんたちの研究は、新たな研究段階をしめしているとおもわれる。