雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

可変性のうちに主体的に再構成を

 この間、オンライン研究会が続いている。5月31日、6月20日の協同主義研究会では司会、7月4日の戦時法研究会では報告を行ったが、いずれも10人から20人の小規模のものであった。昨日7月19日の歴史学研究会総合部会例会は270名の参加者で行われた。.私も50年以上前にこの部会担当委員であったが、例会参加者はせいぜい20人ぐらいであった。

 [スポーツの歴史学ー現在と未来」をテーマとして、報告者は、坂上康博さん「三つの東京オリンピック」、高崎航さん「東アジアとオリンピック」、討論者は小原淳さんである。詳しいことは研究会から説明されるので省略するが、3人に共通して言えることは、オリンピックなどのスポーツイヴェントには、帝国主義ナショナリズム、などの側面とそれを越える側面があることに注目していることである。その両側面をふまえていかなるものを再現出、あるいは新現出させるか、である。

 この点に関しては、私は若年の1980年代に「反対勢力の動向がビルトインされているような体制の下での、体制、反体制の、単なる対抗や抵抗でない具体的なあり方をどのように考えるか」が「現段階の」研究の課題であること。1870年代から80年代に社会の主流であった「民権派がこれまでの民主主義も、帝国主義も、そしてその両者をビルトインしている体制諸要素も可変性のうちに主体的に再構成をして、さらに内外の民主主義を現実的にどのように発展させるか、を同時代の対抗の民主主義的歩留まりもふくむ具体的条件の中で明らかにすることである」。「問題はその対抗のあり方を民主主義の側からどのように再構成するかであるからである」(雨宮昭一『戦後の越え方』2013年、日本経済評論社、59頁).

 以上の課題は1980年代から現在まで私の課題であるが、それにとっても今回の報告討論は有益な内容であった。そしてたしかに対象の単純な批判でも、問題点の指摘でも、さらに肯定的な側面の指摘でも不十分で、再構成、「可変性のうちに主体的に再構成」し新たなものを現出することが求められている。そのためには、一次元上がった方法、想像力、構成力が求められていると思われる。

 

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