雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

政治史の豊かな展開

 本月12月15日の第5回協同主義研究会での「「協同主義とポスト戦後システム」再論ー社会的連帯経済・再編福祉国家論・MMTと関連させて」と題する報告を終えてしばらくぼーっとしていたが、そのほかに参加した研究会で気がついたことを書く。

 11月30日歴科協大会、12月7日同時代史学会大会に参加し、前者ではプーランザスに関する報告での「階級」の強調に対して、資本主義システムないし自由主義システムとして多様な主体の多数派形成をめぐるヘゲモニーを考えるべき、などと発言した。

 後者については発言はしなかったが感じたことがあった。大門正克報告については過去と現在の往復とか、経験による認識の変化などのそれ自体は生きる人間個人にとっても、研究者にとっても自明のことが全体の歴史の認識や構造にいかに関連するか、がコメンテーターの岩崎稔さんや源川真希さんから指摘された。大門さんはそれが今後の課題と応じた。

 「日本政治史研究と「歴史表現」」と題するコメントにおいて源川さんが、90年代の戦前・戦時政治史、外交史の流れを、戦後歴史学、丸山政治学、実証的政治史を起点として、天皇制国家論、ファシズム論争などを経ての現状を一覧表にして見事に整理された。そして今は戦時の中の議会や市場の「合理性」を評価する「実証主義」的政治史が主流になっていると論じる。

 この整理は多くのことを触発させてくれる。第一には政治史にもっと多様な展開があったのではないか、第二にはそれと関連してその展開によって「実証的政治史」の前提がつくられていてそれらを考えると今後、もう少し異なった展開がみられるのではないか。

 第一の点については、源川コメントでは取り上げられていないが、80年代90年代に新しく形成され、展開された政治社会史、地域政治史、都市政治史、農村政治史などである。そこでは小作農民や労働者、雑業層の自己認識や行動と政治過程のトップレベルの動きを立体的にとらえたものである。この点でいえば源川コメントの資料⑥での「実証的政治史」の坂本一登氏の「政治という活動に携わるのは、概して少数の指導的人物であり、政治史は必然的にエリートの歴史となり、社会の大部分やエリート以外の人間の営みを視野から落としてしまう」が「重要な歴史の一分野であることは動かない」と述べるが、上記の政治社会史、都市政治史などはその二項対立を方法的、実証的に具体的に克服したのである。その多様な展開については例えば、中村元『近現代日本の都市形成とデモクラシー』2018年、吉田書店、の研究史整理などがある。

、 第二の点については、戦時における議会や市場の「平時]的あり方については、戦時と戦後の連続性を指摘した総力戦体制論などがその認識のパラダイムを形成したことは間違いないだろう。さらにそれと関連する潮流論などにより、例えば「市場」や「議会」や[政党]にインタレストを持つ戦時期でも有力な潮流の指摘などが既にある。たとえば源川コメントで実証的政治史の例として挙げられている米山忠寛『昭和立憲制の再建』2015年、千倉書房、の研究史部分も関連している。その文献に正面から向かって的確な書評が有馬学氏によって行われている(『大原社会問題研究所雑誌』735号、2020年1月)が、そのなかの政治勢力の「闘争」か併存か、戦時戦後の連続か断絶か、終戦過程における政党勢力の位置ずけ、翼賛選挙の評価などの論点は上記の第一、第二の論点と関連させればいっそう生産的、創造的に展開できうると思われる。