雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

2019年度歴史学研究会現代史部会ー55年体制、保革の越え方、68年、近代とポスト近代

 5月26日に久しぶりに歴研現代史部会に顔を出した。テーマは「平和運動を歴史化するー冷戦史の解釈枠組みを越えて」で、報告者は日本―神戸については黒川伊織さん、ドイツについては竹本真希子さんのお二人で、いずれも演釋的でない豊かな報告と議論であった。ここでは私の狭い関心とクロスした論点のみにふれる。

 第一点は黒川さんの日本共産党の1955年体制論である。彼女は戦前から55年まで共産党属地主義で党員は国籍を問わずその地で運動していた。しかし55年に属人主義となり他民族、他国民と分離して運動も「国民化」したという。私はかって55年体制、を社会党統一、保守合同共産党六全協を内容として成立したこと。そこでは改憲意図の挫折による保守の日本国憲法秩序への参入、と、共産党の暴力的方法から合法的方法による変革への移行、すなわち日本国憲法秩序への参入がなされたことをのべた(『戦時戦後体制論』1997年、岩波書店、127頁)。この共産党の二つの55年体制は二つの側面というべきであるがその連関と展開は興味あるところである。

 第二点は黒川さんの神戸での運動内での違いを対立させなかったり、多様なエスニシティも含む主体の連携を豊かに紹介されている。これは私が「1950年代社会論」で50年代には保守と革新があり、その中で社会においては革新勢力が保守革新の境界をこえた実践によって社会におけるイニシアティブを有したことを指摘した(同前、161頁)ことと響きあっているように感じる。実際、対立が存在しているその最中に、対立を越える実践抜きにはオルタナティブなクリエイティブな運動はあり得ないのだ。

 第三点は89年と68年の問題である。黒川報告でも前者に触れているし、私もポスト冷戦とポスト戦後体制について触れてきた。後者68年については「運動が組織中心から個人中心へ」といわれるが黒川さんはエスニシティもいれた「市民的ネットワークが展開した」ことと述べた。68年については私は私の体験(当時大学院生)からも、関わってきた「総力戦体制論」からも、次のように考えてきた。つまり戦前戦時から展開する階級社会からシステム社会への移行のある画期として68年ごろがあり、システム社会への抗議とシステム社会を越えようとする運動として新しい社会運動が現れたこと。それが社会の「非物質的価値観」への移行と関連するとよく言われるが、私の同時代的実感では“非物質的支配”の強まりへの抗議であったように思う。いずれにしてもこの非物質的事態は高度成長の「成果」でもあり日本人に物質的な豊かさをもたらしたことと無縁ではない。同時に上記のエスニシティなどの運動はアイデンティティにかかわるが、それはある意味で、“非物質的”でありそれゆえ“非物質的”な条件の中で展開するのではないかと思われる。そして以上のような“68年”が89年を準備したと思われる。

 第四点。コメントで米谷匡史さんが68年は「細分化、個別化して細かく分けて研究させる在り方への批判」と述べ黒川さんが賛意を表し「自分は神戸ではたこつぼでなく広げている」と応じた。両者とも説得力がある。私も地域の多様な人々と調査や研究をしているがまさにたこつぼではなく広げること以外にそれらはあり得ない。そのうえであるが多様な人々と連携をするためには、自らの「専門性」という「近代」の在り方の媒介抜きには私の場合はあり得ない。「近代」を越えるとは一面では「近代」に徹しなければ不可能なのだろうか。