雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

天川晃さんを悼む

 4月27日に天川さんがなくなられてから3週間たつが喪失感が激しくまだ立ち直れていない。もう半世紀前になるが最初にお会いしたのは天川さんが東大法学部の助手をされていて筆者が大学院生の時であった。当時は「東大紛争」が始まる直前ぐらいの時である。そのころの政治学では丸山真男さんの存在が圧倒的で日本、ヨーロッパを問わず政治思想史を選択する研究者の卵が多かった。また行政学の辻清明さんも強い影響力をもっていた。それ以外は例えば日本政治外交史のように伝統的な専攻が選ばれていた。

 天川さんもふくむ何人かはそのいずれにもものたらず、そのあと現れる「全共闘」(彼らはどちらかといえば数量政治学のような新しい研究方法を使おうとしていた)とも異なっていた。親近感を持っていた岡義達さんや京極純一さんはまだ若く方法が外在化されていなかった。それもあって天川さんは助手時代は懊悩されているように見えた。しかしこの時の立ち位置が学問業界を越えた天川さんの存在をつくったとおもわれる。周知のごとく天川さんは日本占領研究の草分けであり第一人者である。天川さんは1974年から75年にかけて「戦後政治改革の前提―アメリカにおける対日占領政策の準備過程」、「占領初期の政治状況―内務省と民生局の対応」「地方自治制度の改革」(これらの文献,本人の位置付けについては天川「戦後改革・占領改革・戦時改革―戦後体制の成立をめぐって」福永文夫、河野康子編『戦後とは何かー政治学歴史学の対話』下巻、2014年、丸善、を参照)という3本の重要な論文を書かれた。

 それらの業績は米国の資料の使用、占領以前の準備過程、そこでの占領の位置など以後展開される「占領史研究」の原型を表現された。さらにそれを通して狭い各学問業界を越えた展開をも表現された。当時から天川さんは、国際政治学会、政治学会、地方自治学会などなどで報告をされている。そして自ら占領史研究会を起ち上げられたことも周知のことである。天川さんはよく国際と民際と学際の研究会を目指したと話されていた。ここでも境界を自覚的にこえようとされていた。

 天川さんの卓越さは業界を越えつつ単なるジレッタントではなかったことであり、深い意味でも、具体的な意味でも各業界に内在しつつ各々を超えられたことである。たとえば天川さんは自分は行政学者ではない、と公言されていたが地方―中央関係における集権―分権、融合―分離を軸とする天川モデルは行政学の教科書にはかならず載っている。関連して最近、というより天川さんの最後の仕事になってしまったが戦後地方自治の歴史に関する本を準備され講演もされた。その中ですでに1989年執筆の「昭和期における府県制度改革」で提出されていた戦前の内務省―府県制システムと戦時に出てきた内閣ー道州制システムをさらに占領・戦後改革をくぐらせその結果がたぶん新「内務省―府県制システム」としての戦後体制として安定し、それが2001年あたりの「分権改革」で変わる、という見通しを持たれていた(前掲『戦後とは何か』138,141ページ)。その後の展開についてはなくなる5か月前に、「戦後の越え方」については筆者、最新の行政学における中央―地方関係については村松岐夫氏と3人で「放談会」を持ち、そこで詰めていきたい、と話していた。残念ながら何回かのメールで体調が許さず延期されたままで終わってしまった。筆者は脱戦後システムとしては螺旋的循環としてではあるが第2期内閣―道州制システムの展開ではないか、と「放談」するつもりであった。いずれにしてもわくわくするような議論がいつもできたのは天川さんの知のひろやかさ、つまり長期的で全体的な視野から常に問題を考えられていたからであった

 天川さんは率直でこわばりを好まずユーモアを自然にみにつけていた。自らを「関西人」とのべ例えば筆者の「一生懸命さ」をからかった。こうしたデタッチメント、ユーモア、場にいて場を超える、という特徴は、実は天川さんは早くから距離を置き筆者は少し遅れて距離を置いた丸山真男、辻清明、林茂の諸先生方の教えでもあり、気質でもあったことに気付く。本人の意向はわからないがその時代の最も良質なものを継承しつつあらたに展開していることは間違いないと思われる。

 最後に少々個人的なことをのべたい。お互いに助手,院生以降20年近くは筆者は1920年代と戦時期を研究していて、東大の政治学研究会で時折会う以外は天川さんとはクロスすることはなかった。筆者が占領期を勉強し始め、一方占領史研究会が解散(1992年)したころから非常に親しく会う機会が増えた。以下はこれまで一緒につくった、今つくりつつある、そしてこれからつくることになっていたいくつかのしごとである。様々な科研費研究会、茨城の占領時代研究会(『茨城の占領時代―40人の証言』茨城新聞社、2001年)、科研費(『地域から見直す占領改革』山川出版、2001年)、『自治体と政策』放送大学、2009年。戦後体制研究会、前掲『戦後とは何か』上・下。同『対話―沖縄の戦後』吉田書店、2017年予定。同『比較戦後体制論(仮題)』吉田書店、2018年(予定)など。他に占領・戦後史研究会、ガバナンス研究会、マッカーサーノート研究会などでもそれぞれつくり、いまつくりつつあり、これからつくることになっていた課題があった。知的にも学問的にも人間的にも付き合い、相談する日々であった。4歳しか違わず年齢も近いこともあってか、親や若いときの友人たちとの別れよりもその喪失感は身体的ともいえるほど深い。それはまた稀有な存在だった天川さんの不在の個人を超えた意味をあらわしているように思われる。