雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

都市の農村化と農村の都市化の交錯ー田園都市構想とポストベッドタウンシステム

 かねてからの友人である先崎千尋さんから著書『評伝山口武秀と山口一門 戦後茨城農業の「後進性」との闘い』2021年1月、日本経済評論社、をいただいた。著者も組合長や町長などで関わった茨城県の、戦前、敗戦直後、高度成長期、高度成長後から現在における農業の変遷を「後進性」との闘い、を軸に鹿島郡行方郡ー鹿行地域の主要なリーダーの動きを中心に描いた作品である。

   明治初期の自給的農業から商品経済の遅れた戦前の茨城の農村、敗戦後の小作階層を基盤とする耕作地獲得をめざした山口武秀をリーダーとする農民運動、耕作地を確保した農民たちの農業経営の要求に沿った自民党補助金政治、同じ課題に米プラスアルファ方式を打ち出した山口一門をリーダーとする玉川村農協、高度成長の中、県知事岩上二郎、山口一門、らによる「生産第一から生活第一へ」を目指した「田園都市構想」の模索と展開、その挫折の現在、という流れを本書は見事にえがいている。

 ここで田園都市構想の展開とその帰結の位置ずけを考えてみたい。本書はハワードの田園都市論を次のようにとらえる。農村における心身の健康と活動性と、都市における知識と技術的便益と政治的協同、との結婚であること。そこでは「村落地帯に取り囲まれ、その土地はすべて公的所有かコミュニティに委託され」「職・住・楽を一体として保障」し、全ての住民は「農,工、商、サービス業」ではたらく、と(214頁)。

 もともとハワードの田園都市論は都市問題の解決として提起されたものであるが、茨城でのそれは、集落を基礎とする農村生活の改善計画であったことに特徴を持つ。都市問題ではなく「農村計画」であるという。生産第一主義から生活第一主義へ、個人の生活改善から集落全体の環境改善へ、補助金目当てではなく自分たちの計画つくり、具体的には生産と生活の場の分離そのための生産団地と住宅団地造成などである。

 その実行の結果は、確かに生産性や生活水準の指標が最下位に近かった地域が、現在の鹿行地域のように日本有数の園芸産地になるなどがあるが、全体としては農業の兼業化、農林漁業の衰退,,農村集落の混住化、などとなり、またリーダーの山口一門なきあと玉利農協がなくなるなど「元の木阿弥」(252頁)となったり、「田園都市づくり」は「過去のものとなって」(255頁)しまったという。

 私は、田園都市構想の新たな実現の契機が以上の過程も含めた現在の都市と農村の状況にあると考えている。まずその一つは農村の都市化の進行である。それは上記の農村生活の改善の生産と生活の場に分離などは農民生活の都市型への方向をもち、兼業化、混住化は働く場所の多様性、生活する場所に住む人々の多様化である。農村からの田園都市構想の、集落からの田園都市構想の実践はそれを促進させた。

 二つ目は、三つ目は都市の問題である。情報化、グローバル化などにより、大都市以外の膨大な数である地方都市は、第二次産業第三次産業の衰退、人口減少などに逢着している。その結果、たとえばある県庁所在地の都市では中心部も含めてそこらじゅうに空き地がふえ、それがほとんどすべて駐車場となっている。このような状況は、大都市の中心部以外も含めて全国に見られるだろう。このような状況に対して様々な「町つくり」の試みがなされているが大きな方向性が見えないように思われる。都市と農村との関連でいえばどう見えるだろうか。上記の駐車場は産業上からも人口上からもいずれ機能しなくなるとしたらその後をどうするかである。それは端的にいえば、その膨大な空き地を農地にすること、それは農場、家庭菜園、市民農場とすることである。都市以前のしかしその後の都市化のもたらしたゆたか条件を踏まえた新たな農村化、都市の農村化である(それも不可能ならば自然であったその後の豊かな蓄積をふまえて自然にお返しすることである)。それは過剰なグローバル化、過剰な成長主義、過剰な自然破壊の克服につながる食物の自給自足、自然の復活、農業を身近にする新しい豊かな生活様式の展開となろう。それは新たな「田園都市」ではないだろうか。

 三つ目は二つ目と関連し共通性をもつが、都市からの問題である。都市と地方の問題を、一方に限界集落を、もう一方に大都市中心部をおいて論ぜられることが多い。しかし、その中間に膨大なベッドタウン地帯、都市近郊地帯があることが忘れられている。この膨大な地域も、高齢化、人口減少、産業構造の変化などにより転機にたたされている。ベッドタウシステムは職と住の分離であるが、都市中心部で働き、郊外で生活をする、その人が住民税を払うことによってなりたつが、たとえば高齢化がすすむとその人が近郊地域の福祉の対象になることなどである。その問題の解決は、ベッドタウン化以前の状態、すなわち職、住、楽、遊、学などの形態としての再接合、再近接、再結合である。それはたんなる再帰ではなく、ベッドタウンの豊かな財産をふまえた再帰である。つまり螺旋的な再帰である。このポストベッドタウシステムもまた新たな「田園都市」と関連を持つように思われる。

 かくして現在における農村の都市化と都市の農村化の交錯、コロナ禍でも明らかになった職住接合、近接もふくむポストベッドタウシステム化は、新たな「田園都市」への確かな方向性を持つように思われる。そしてその「田園都市」は土地のコミュニティ委託、公有も含めて市場の論理とは異なる契機を有している。以上の方向性は、コロナ禍で露呈した市場の論理の暴走、その市場によるグローバル化、自然破壊などの限界を地域において克服するものでもあろう。