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雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

稀勢の里を見るいろいろな見方

 昨日、茨城大学協創教育研究センター研究会のコメンテーターとして大学に向かう午後1時30分ごろ、水戸駅で「稀勢の里横綱に」との茨城新聞の号外が手渡された。稀勢の里については私も何度も何度もがっかりしてきた。前々場所の時であるが句会で、

 稀勢の里やっぱり負けます秋海棠(20

16年10月9日雲の会)

と詠んでしまった。これは、朝潮がどっと負けます曼殊沙華(坪内捻典)の形をお借りしたのだが一種のやるせなさとあきらめの心情をうたったものだった。自分が茨城県に長くいたこともあるがとにかく優勝して横綱になって、という焦慮のような気持ちでいっぱいだったわけである。それはメジャーに行った投手に二桁勝利を熱く期待することとも共通している。

 しかしこの間の稀勢の里の優勝、横綱決定のなかで最も印象的だったのは、稀勢の里のお母さんの「大関でながく相撲を取ってほしかった」とつぶやいたことばだった。それぞれの人がそれぞれの見方を持っていること、それを知りかつ尊重しあうことがそれぞれを豊かにしてくれることを感じた。そういえばメジャーに行った投手が目標を聞かれて速球をきたえて二桁勝利を続ける、とこたえたらコーチがそうではなく目標はながく投げ続けることだ、と言ったそうである。