雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

2020年12月の俳句

この間、来年1月締め切りの「研究ノート」の準備といくつかのZOOM研究会に参加したこと、さらにこの「12月の俳句」欄に出すはずの俳句を「11月の俳句続き」に出してしまったので、ここに書く俳句は少ない。

  枯野でもやるときはやるですね、坂野さん

  それぞれの子の影支へ霜柱

  霜柱踏む前一瞬空に浮く

  訃報三行吉田拓郎をきく十二月

  にはとりと目が合つたから冬が来る

  牡丹鍋みんなが「デジタル日雇い」になる明日

  以上

歴史学研究会のズーム研究会に参加して

  この間歴史学研究会のいくつかのズーム研究会に参加したので全くの個人的感想をかいておきたい。

 歴史学研究会合同部会(11月29日)では、従来の中央集権的主権国家としての近世国家は実は水平的に多様な要素を含む国家であり、帝国であることを日本、東洋史西洋史から考えようとした。これまでの理念型の相対化であるが、同時にそれをふまえた新たな理念型形成過程でもなければならないと感じた。同全体会(12月5日)では「自己責任」という構造のなかで「剝き出しの個人」として現れる「生きずらさ」をめぐってであるが、それに対応するためには構造を可変性のもとに見て、市場でも国家でもない公共圏を考えるとき、協同主義が重要だとしきりに思っていた。

 同近代史部会ではたとえば障害を持った児童をどのようにサポートするかをめぐってドイツでは17,8世紀にプロテスタント系の教会を中心にその児童たちに人のために何かができる能力をつけることをおこなったが、しかしそれは客観的な経済性や「有用性」ではけっして判断せづ、本人が意義ある生活をできることを感ずればいい、としたという。19,20世紀になるとそれらは労働の能力を付与する基準となるという。手段としての障碍者の生き方の基準でない、本人の生き方を基準とするありかたは、宗教以外にもどのようにあるか、をしきりに考えた。これも協同主義との深い関連があるとおもっている。

 同現代史部会(12月6日午後)では冷戦期における中絶や避妊をめぐる議論であった。私は日本が「実験場」との議論に、一つは実験する主体と観察する主体を分離すること、また、両主体は多様であるはずだ。二つはそれとの関連で戦前戦時のとくに戦前のサンガー夫人と無産系や女性の運動はどうであったか、を質問した。

 今準備している研究ノートは「四潮流論から協同主義研究へ」というテーマであるが、それにも随分考える契機を与えてくれた研究会であった。設定された歴史学研究会の委員の方をはじめ、関係されたたくさんの方々に感謝申し上げたい。

 

 

 

坂野潤治さんを悼む

 坪内稔典さんに「枯野では捕鯨の真似をしろよ、なあ」という句がある。これは句仲間の追悼の句としてつくられたものである。私は弟子ではないが、長い間親しくつきあっていただいた、畏敬すべき人としての坂野潤治さんに何かを書きたいと思った。

 俳句では「枯野でもやるときはやるですね、坂野さん」と詠んでしまった。

 坂野さんは日本近現代史研究の巨星の一人であり、膨大な著作も含めて多様な側面を有しているのでその全体を描くのは多数のお弟子さん達によって行われると思うので、ここでは私に関わることに限定して書くことにする。

 今から五十数年前に大学院の私の指導教官であった東大社研の林茂先生の研究室で紹介されたのが最初の出会いであった。私は林先生との関係で坂野さんと伊藤隆さんには少し特別の親しさを持っている。以後、先生の研究室、憲政資料室、研究会の後の居酒屋、共通の知人の記念イベント、仕事の打ち合わせなど無数の場でお話をする機会をいただいたが、その中で印象に残ることがある。

 三十数年前に早大での政治学会でのあるセクションで坂野さんの持論の1930年代の日本のデモクラシイの報告に対して私が戦時期の位置ずけが明確でないことを質問した。それに対して坂野さんは質問には触れずに「答えは簡単だ。来年、君がここに座ればいいんだ」と言い放った。

 また、学会などの後に見知らぬ土地で食事やお酒を飲む場所を、私がその土地の日常的な料理を出すところをみつけると「雨宮は嗅覚がいい。こういうところでも研究でも」といい、嗅覚以外は駄目というニュアンアスは否定しがたいが、私の研究では統帥権、日糖事件、外交調査会、惜春会、町内会、総力戦体制、五十年代社会論などを例にあげられた。

 こうしたところに現れる身体的感性と「社会は解釈するだけでなく、変革するものである」という感性は共通して有していると思う。それは坂野さんが60年の安保闘争全学連の国会突入の時のリーダーであったこと、私も3,4年後に同系統のブントの活動家として二度ほど検挙されたことがあった、などにもあらわれていると思われる。

 だから坂野さんの全ての著作では「社会をどうすればよくできるか」との視点が貫いており、また2011年の福島原発事故の後片付けの時「若い人が放射能を浴びてはだめだ。老人が現場で働こう」との「老人決死隊」の呼びかけに坂野さんが応じ、それを坂野さんから聞いた私も即座に「参加したい」といったとおもわれる。

 しかし共通したものを前提にしながら、研究上の立ち位置はかなり異なっている。坂野さんは都市アッパーミドルの自由主義で私は旧中間層の動きも重視する民主主義であり、よく話されたが坂野さんの父上は裁判官で戦時中に町内会などにあった旧中間層に圧迫されたことを、反権力の源泉の一つにされている。私はコミュニティに責任を持つあり方に視点をおいていた。これらが戦時期の評価にの違いとなって現れている。4年ほど前に、日本の近現代に関する坂野さんと私との対談形式の新書を出そうといわれた。その直後に安倍晋三政権は1940年代の翼賛体制ではなく、1920年代の自由主義体制―天皇自由主義体制を客観的にはモデルにしているとの論文、著書を、私が出して以後その企画は展開しなかった。

 学問的にはまさに巨星落つ、であるが私にとっては無数の機会にわかっていることはあたりまえに前提にして省略し、お互いにまだわからないことを、それ故にわくわくするような、、フットワークのかるい楽しい時間が永遠に失われたことが痛切にかんじられる。最後にやはりお話ししたい。

 枯野でもやるときはやるですね、坂野さん

 合掌

 

 

 

2020年11月の俳句続き

疎水秋近江の空を運びけり

疎水橋煉瓦捩じれて紅葉色

大紅葉燃ゆるや本堂開け放ち

紅葉燃ゆ京都モダンの無鄰菴

苦瓜一つその茎のみ青し

入滅の慟哭満ちて五重塔

凛として真っ直ぐに飛ぶ雪蛍

日露戦ここより始む無鄰菴

以上

菅政権の性格

今月11月17日にある研究者から、インターネット上の内田樹さんの最近の評論を紹介されてそれへのコメントを求められたのに昨日、おこたえしたものに少し手を加えたものを書くことにする。

○○先生

 メールありがとうございます。なかなか読ませますね。人事局、小選挙区制、学術会議で官僚、政党人、学者の自立性を奪い、独裁国家、株式会社国家をつくることを自己目的化したのが菅政権との断言は痛快ですね。しかし、最近多くの論者が「真正保守」「真正伝統」の立ち位置をとって、評論をしていますが、ある意味ではそれらの無効の上に上記の事態が展開進行しているのですから、それをふまえた「保守」「伝統」の把握の仕方の見直しとパージョンアップがなければ、客観的には単なる「嘆き」、あるいは無力な「反動」になりかねないと思います。。

 多分、日本も世界的な戦後システムの移行期にあり上記の「国家」のありかたは、目的ではなく移行するための手段の一つの形態だと思われます。しかも多くの国ではポピュリズムとして従来の政党の外部から強くかつ全面的に作用しているのに対して、日本の場合は従来の政党と政治の内部でかつ部分的に進行していますね。つまり従来の政治や運動、制度、の要素、必ずしも新自由主義的でない要素も多分に多様に存在しつつ移行している状況と過程と段階だと思われます。田中派的要素、梶山静六的要素、公明党自民党から共産党までの超党派議員連盟(会長田村厚相)によるワーカーズコレクティブ法案の作成完成、などなどは自由主義というよりは協同主義的要素、や側面といってよいとおもいます。つまり新自由主義的力もふくめ、それ以外の多様な諸力の総合として菅政権はあると思います。

 したがって超越的に一面一要素に還元して論ずるのではなく、多様に介入する契機と必要が、客観的にあるもの、こととして見る必要があると思います。私の最近の著書やブログでのべているように、歴史的に形成され、現に存在している協同主義と自由主義のこの移行期にふさわしい、持続可能な適切な関係と割合をもつ内外にわたるポスト戦後システムの形成のために各領域各分野における検討と提案と介入が必要で可能だと思われます。すみません、すっきりしなくて。当面私はそんなことを考えています。

雨宮昭一、

2020年11月の俳句

 10月10日の占領戦後史研究会、17日の戦時法研究会、28日の獨協大学地域総合研究所の研究例会、11月1日の協同主義研究会といずれもオンラインで充実した研究会が続いた。その間に俳句もたくさん楽しんでしまった。

 小春人小春の猫も生返事

 枯木立夕陽を金の粉に砕き

 道ならぬ無害の老恋あかまんま

 咲き集いひかりあひけり秋の薔薇

 大空と大海の間溶け小春舟

 大紅葉妻の運転ありしころ

 風の先その向かうに猫小春

 鵯と目が合ったから冬が来る

 はなすすきおいでおいでと街の川

 街の川盗人萩に秋の蝶

 小庭秋ふぐり大きし猫の過ぎ

 中ぐらいの懐かし感やズーム秋

 小庭秋三時の猫と四時の猫

   この夏は炎暑とコロナとオンライン

 彼岸花後の茎のみ街の朝

 疎らなる七竃の実街の道

 犇めきし鯉の眼に彼岸花

 鯖雲に紛れ込んでる昼の月

 全小庭起ち上がりけり霜柱

 賢者にも愚者にも銀杏落ち葉降る

 木枯らしや賢愚諸共吹きさらし

 以上

 

 

コロナ禍の中の過ごし方ー循環社会、持続可能な社会へのささやかな試み

 コロナのため研究会も調査もオンサイトでは不可能になった時間がながくあり今も続いている。この九か月間の家の中の生活はいつもと違ったはずである。私はベランダの三つの中型の鉢に近所の園芸店から、それぞれ一本百円から二百円のゴーヤ、キュウリ、ナスの苗一本ずつ購入した。

 肥料はわからないこともあって化学肥料は使わず、すべて家の生ごみをつかった。山梨の実家からの漬物の糠でつくった漬物を洗った水、コーヒーの粉、果実の皮など。そのことによってゴミに出す生ごみは半分以下になった。また炎暑が続いたから水分が必要であった。炊事で使う水は信じられないほどたくさんだが、洗剤を使わない水を鍋にためて鉢にいれた。私が検査入院した時は長女のエンジニアの婿さんが、ぽとぽとと水を供給する手製の給水装置を作ってくれた。

 いずれもよく育ち、実をつけてくれたが、朝、とったばかりのゴーヤとナスを卵といためたものをたべるのは至福であった。広がった茎や葉がベランダを覆い炎暑を圧倒的に遮断してくれた。朝、カーテンを開けると緑がとびこんでくる。シジミ蝶、熊蜂、蠅、蟻、ゲジゲジなどが受粉も含めてたくさんやってきた。夏みかん生ごみから芽が出て成長しアゲハ蝶の幼虫がつき、二羽羽化した。そしてしばらくしてその一羽が産卵にきた。

 やがて諸事オンラインになっていくが、この中で畑など屋外にでなくても、屋内で以上の自然自体の循環、と人間のかかわりと交流、五感,六感に感じる気持ち良さなどを伴うささやかな循環社会の試みは、アフタコロナの社会、ゴミを減らさなければならない小金井市にとっても、持続可能なグローバルな国際社会の形成にとっても、深い意味があるように思われる。