雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

「『一強』の今とこれから」および2020年9月の俳句

 クレイジーともいうべき炎暑がおわりつつある。この間も研究会,句作などはおこなっていた。とくにオンラインであるが、8月30日の協同主義研究会では、三木清の協同主義研究、美濃部達吉の「天皇機関説事件」の二つの新しい視角から、あるいはこれまでの通説を根底から覆すような報告がなされた。いずれも印刷される予定である。議論が深まり司会をしていたが、快いものではあるが知的にも体力的にも疲労した。最近はイギリスや中国の研究者の参加が増えている。

 もう一つは炎暑と関係あるかもしれないが、安倍晋三首相が8月28日に辞任を表明した。その後後継をめぐり様々な動きがある。このことに関して昨年2019年5月9日のブログで「『一強』の今とこれから」と題してコメントしている。すこしえらそうだが、1年4ヵ月前のものだが経過、内容、意味にわたって付け加えることはない。

 

 9月の俳句

川原の石の放てる秋の声

街角の銀杏放てる秋の風

へこきむしへこいてくさにへこたれず

木槿垣駐車のいない駐車場

暮れ泥む翡翠碧く条残し

縄文の杉放ちてる秋の声

美少年きゆむきゆむ菓子食む手術前

神田川摂氏三十七度の街無音

三十七度無音にぎあふ池袋

俺が世界世界が俺三十七度

蚊も蠅も絶滅したかこの炎暑

瘦せ果てて街で射たれし熊の夏

以上。

 

 

2020年8月の俳句

八月の雑踏八月の死者の列

咲き満ちてこそ散華蓮の花

月見草苦労と不幸は別のもの

啄木鳥の打つ音杜の深まりぬ

ベランダに茄子の花咲かせて喜寿

ベランダに茄子の花一人住む

長雨の自適の日々の茄子の花

最後には朴訥なのか茄子の花

妻に恋の人妻に逢ひの文喜寿初秋

苦瓜といふ明るい色のもの

ステイホーム結構無駄ある茄子の花

凡庸といふはあらざり茄子の花

ベランダで羽化した揚羽産卵に来

咲き溢る白百合カサブランカてふ然り

ベランダに蝉も立ち寄る長い梅雨

街の風新緑の遅速緩やかに

木瓜の花公園の緋の襖

こきこきと角磨いている天牛

天牛の白の斑点気難し

掃除して洗濯を了へ梅雨明ける

以上。

可変性のうちに主体的に再構成を

 この間、オンライン研究会が続いている。5月31日、6月20日の協同主義研究会では司会、7月4日の戦時法研究会では報告を行ったが、いずれも10人から20人の小規模のものであった。昨日7月19日の歴史学研究会総合部会例会は270名の参加者で行われた。.私も50年以上前にこの部会担当委員であったが、例会参加者はせいぜい20人ぐらいであった。

 [スポーツの歴史学ー現在と未来」をテーマとして、報告者は、坂上康博さん「三つの東京オリンピック」、高崎航さん「東アジアとオリンピック」、討論者は小原淳さんである。詳しいことは研究会から説明されるので省略するが、3人に共通して言えることは、オリンピックなどのスポーツイヴェントには、帝国主義ナショナリズム、などの側面とそれを越える側面があることに注目していることである。その両側面をふまえていかなるものを再現出、あるいは新現出させるか、である。

 この点に関しては、私は若年の1980年代に「反対勢力の動向がビルトインされているような体制の下での、体制、反体制の、単なる対抗や抵抗でない具体的なあり方をどのように考えるか」が「現段階の」研究の課題であること。1870年代から80年代に社会の主流であった「民権派がこれまでの民主主義も、帝国主義も、そしてその両者をビルトインしている体制諸要素も可変性のうちに主体的に再構成をして、さらに内外の民主主義を現実的にどのように発展させるか、を同時代の対抗の民主主義的歩留まりもふくむ具体的条件の中で明らかにすることである」。「問題はその対抗のあり方を民主主義の側からどのように再構成するかであるからである」(雨宮昭一『戦後の越え方』2013年、日本経済評論社、59頁).

 以上の課題は1980年代から現在まで私の課題であるが、それにとっても今回の報告討論は有益な内容であった。そしてたしかに対象の単純な批判でも、問題点の指摘でも、さらに肯定的な側面の指摘でも不十分で、再構成、「可変性のうちに主体的に再構成」し新たなものを現出することが求められている。そのためには、一次元上がった方法、想像力、構成力が求められていると思われる。

 

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2020年7月の俳句

夏落葉落ちる音のみ自粛午後

校門初夏のびしたままの長い猫

知り人のかおこえ嬉々とズーム夏

数千のはくてふもつれおほけやき

句誌の上交合はじめる小蠅たち

時計草落ちて時空のかたよりぬ

ライトブルーのサングラスものおもはざりき

あらためて紫陽花をみる通勤人

夾竹桃断じて赤しテルミドール

濃い色のサングラスかけ快活に

東京に水の澄みたる深大寺

君のままでいいといふ本梅雨半ば

知り人に誰もあはずに梅雨に入る

九条を柱にアジアと世界の協同体

日向水蹂躙している一年生

七月の夕闇に佇つ逢へぬ日々

七月のシンクの水のよく排ける

七月の揚羽おほえる

変電所  以上

「コロナ」への対処と日本の過去・現在・未来ー試論

 この五月末には日本における新型コロナウイルスの爆発的感染は少なくとも第一次は抑えられた。その対処の仕方と結果については、中国、米国、韓国、ヨーロッパ諸国などと比較するといくつか特徴がある。

 大きくは中国のような全体主義的対応とアメリカのような自由主主義的対応があった。中国では中央政府が強制的に、アメリカでは経済活動を長く優先した。しかし両国も、韓国もヨーロッパ諸国も都市封鎖のごとく、刑罰を伴う強制措置は共通であった。日本は強制のない「自粛」であった。

 また情報管理による対処は中国、韓国、などは強く、日本は弱いといってよい。さらにその結果については、アメリカ、ロシア、スエーデンなどヨーロッパ諸国と比較すると韓国と同様に死者率が非常に低い。

 以上のような全体主義的的でも自由主義的でもなく、かつ強制的でもなく、かつ情報管理も弱いままで、死者率は低く第一次感染爆発を抑えた背景を考えたい。

 第一には、日本は言うまでもなく、共産党一党独裁の体制ではない。第二にはアメリカなどと比較すると新自由主義もそれに基ずくグローバル化も不十分であった。それゆえアメリカや韓国とくらべて社会的格差も情報化も進んでいない(「世界の格差と日本の格差」朝日新聞2020年5月29日、朝刊)。アメリカなどと比べれば国民皆保険制度があること、しかしスエーデンほど福祉国家化はすすんでいない。スエーデンの場合は福祉国家の進展はすでに「安楽死」を正面から議論している段階にあり、今回の場合には高齢者の死亡率が高い。つまり体制も新自由主義化もグローバル化もさらには福祉国家化もいずれも”中途半端であるゆえに上記の結果になったことになる。

 積極的に対応した諸国と決定的に違うのは、刑罰のつく強制をしなかったことである。これは制度の問題と強制性がなくても実践する国民のありかた双方に関わるが、端的に言えば、戦争をしない国、あるいは戦争ができない国、であるからである。いうまでもなく、国家緊急権により全国民と国民の生活全領域を刑罰を背景に強制できるのは戦争であり、戦争が合法化されている国に置いてのみそれは可能である。そしてそのような制度にない国家と社会に日本がある事をこの度のコロナ対応はしめしたのである。

 このことは憲法九条体制を含む戦後体制が、ポスト戦後体制に移行しつつある現在にも継承されていることを意味する。この日本戦後史の国際的位置から日本近現代史を見る視角と立ち位置を考えたい。その国際的ありかたとは、軍事力の行使を前提として覇権行為を行う覇権国家から、軍事力を行使しないという意味での非覇権国家への移行と定着である。現在までの日本近現代史の研究の視角は覇権国家日本の展開とその「失敗」と再び日本がそうならないための「教訓」がもとめられてきている。

 最近いただいた本に、原田敬一『日清戦争論』(本の泉社、2020年))、少し前だが坂野潤治『帝国と立憲』(筑摩書房、2017年)がある。前書は最初の対外戦争としての日清戦争が日本近現代史の起点でありそこでの政治家、国民、知識人などのありかたが後の日中戦争第二次世界大戦への参加に連続することをのべる。それは現在も影響力をもつ司馬遼太郎史観への「反論」だとする。

 この点については私も明治維新から日清、日露戦争とその後の戦争では戦争指導の主体も形態も転換するがそれは近代日本の「ノーマル」な生理として正面から直視する必要があるが、それはその転換を病理、逸脱として処理し、その背後には転換以前の健康な、健全なナショナリズム“を自明の価値として歴史を語る司馬氏の“史観”とは「大きく異なる」と述べたことがある(雨宮『近代日本の戦争指導』吉川弘文館、1997年、304頁)。

 上記坂野さんの作品は、1874年の台湾出兵から始まる「日中戦争への道」を「日中戦争はなぜ防げなかったのか」という視角から近代日本における中国への膨張を意味する「帝国」とそれに歯止めをかけようととする「立憲」との長期にわたるやりとりと、1937年7月の後者の「最終的敗北」のあとに1941年12月があること。詳細な分析から「デモクラシイ勢力が政権についていれば、戦争を止めることができる」ことを指摘する。そして現在の尖閣諸島をめぐる日中の局地戦争で「立憲デモクラシイ」の主張者が同調することを指摘する。「二度と日中戦争を起こしてはならない」と結ぶ。

 原田さんは特に国民諸階層の生活と意識から、坂野さんは帝国と立憲から明治初期からの動向が日中戦争に連続していくことを具体的に示し、再びそうならないための教訓を日本の動きの中から抽出する。その意味では私も同様である。

 しかし前述のコロナ対応の特徴に現れた日本の戦後史の特徴から日本戦前の歴史への意味ずけを変えるあるいは新しい視角を加えなくていいだろうか。つまり戦後日本は「憲法9条をまもりながら、かつ属国にならない」(雨宮下記の「研究ノート」2020年43頁)ことを課題として、少なくとも戦争をしない、できないという意味で、覇権国家でない国家と社会をつくってきた。それは決して不可逆ではないが不可逆にするためにも新しい視角が必要と思われる。

 すなわち覇権国家の交代という歴史的現実である。戦前日本はまぎれもなく覇権国家の一つであり、それが帝国として植民地獲得も含む加害行為を行い、植民地、従属国、他の覇権国家との戦争に至った。戦後はアメリカは引き続き、最近はそれに新しく中国が新興の覇権国家として現れている。日本はそれら覇権国家から影響を受ける国になっているのである。

 日本近現代史、特に1945年までの研究と叙述は、優れていればいるほど単に日本の、覇権国家への過程、「成功」「失敗」、加害、、国際的責任、を明らかにするのみならず、それを超えて、現在のアメリカや中国などの覇権国家への過程、「成功」「失敗」「加害」、国際的責任などを明らかにすることの参考材料に満ち満ちており、その提供に客観的に貢献している。ここではそれを自覚的におこなうべきことを提起したいのである。さらに日本にでは戦前日本の非覇権国家の契機、他の非覇権国家の、非覇権国家への過程、「成功」「失敗」、被害、国際的責任などを学ぶ必要がある。

 以上の視点は「コロナ」をめぐるアメリカや中国、日本などのこの間の動向から得たものだが、もう一つはこれまでの私の協同主義研究からの継続もある。具体的には戦前の協同主義の主唱者である三木清の「東亜協同体」論の組み換えである。三木は帝国主義の克服と自由主義、資本主義の問題の社会主義でも全体主義でもない方法による解決を実現しようとする協同主義の広域圏の形成をめざした。その現実化のためには「主導国」が必要であり、その日本は自らを協同主義に変えなければならないとした(『三木清全集』)。この論点を、主導国が変化している戦後―現在でも有効だとして現在では中国、などが自らを変えることを提起した(雨宮「研究ノート」『地域総合研究』12号、2019年3月、59頁)。そのような国際的な地域秩序や国際秩序の形成にも覇権国の責任は重い。戦争についても覇権国が物理的に影響力を有しているのだから、戦争が起きたことに対する責任は主として覇権国にあるのは1945年の前も後もおなじである。

 非覇権国もまた覇権国を操作したり「善導」して戦争に至らない状態を、作る責任がある。そして覇権国、非覇権国のそれらの動きによって、覇権、非覇権関係をなくす地域秩序、世界秩序が形成される展望を持つことがあり得る。ブログなどでのべてきたようにこの間のコロナ状況は市場経済のみによるグローバル化に起因し、非市場的領域としての社会や政府の再生、および「友」と「敵」の向こう側にある人間の共生と共存が求められそしてそれが社会を救い管理している。それは全体主義でも自由主義でない方法を要請すると思われる。そしてその過程は同時に職住の近接とかベイシックインカムなどの新しいシステムの条件も形成している(雨宮ブログ2020年4月6日、7日など)いると思われる。そしてそれらが覇権、非覇権関係をなくす内外にわたるコンテンツと方法と思われる(雨宮「研究ノート」「協同主義とポスト戦後システム再論」「協同主義研究の様々な課題と様々な立ち位置」『地域総合研究』地域総合研究2020年月)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月の俳句

 都市政治と国際政治に関する政治史と歴史学の方法と立ち位置に関わる二つのエッセイを書かなければと書きつつあるがなかなか進まない。

はなれあひゆきかひあらたコロナ夏

ステイホーム東京の空深く透き

公園サクス尾崎卒業たどたどし

出来心と酢醬油に噎せところてん

天網は疎にして漏らす心太

いい加減に生きている心太

そろそろと心いれかへ心太

どくだみの花五千ほど深大寺

黒南風のなかからによきと鰹船

坂きゅうに少し毒あるジギタリス

以上。

 

5月の俳句

かなしみを引き継いでいる花祭

人見えずひたすら若葉樹と闇と

徒歩八分銀杏若葉の真ん中に

なにものも時に残さずアロハシャツ

静謐をうつす鏡や青葉木

湧水のあやつる時や風ひかる

 

以上