雨宮昭一の個人研究室

政治学と歴史学と地域の研究をしている雨宮昭一の備忘録です

加藤陽子『戦争まで』朝日出版社、、2016年、について

 はじめまして、雨宮昭一ともうします。最近懸案だった協同主義研究のための見取り図の一つを書くことができました。それが「戦後の越え方と協同主義ー協同主義研究のための見取り図の一つとして」『独協法学』2016年8月、です。ここではそれ以後気がついたこと、読ませてもらった本、研究会で触発されたり、発言したことを記録したいと思います。

 

   加藤陽子『戦争までー歴史を決めた交渉と日本の失敗』朝日出版社、2016年

 本書は大変面白く説得力のある作品である。著者のこれまでの作品では事態の再現を中心にされてきたが本書では最新の研究と一次資料をふまえてオルタナティブを迫り、読者の高い(あるいは本来の)“当事者性”を陶冶しようとしている点などは高く評価される。

 それを前提にしたうえであるが本書の「合理的」で「現実的」とされている「世界の道」が大衆に認識されなかったことから戦争に向かった、という基本的論点を検討する。これはかならずしもイデオロギーの問題ではなくこの「世界の道」は内外の既得権益者である資本主義、自由主義勢力によって構成される世界秩序である。そしてこの資本主義、自由主義の問題性が露呈するのが本書が扱う激動期であろう。その問題性の解決が国内的国際的に放置されたまま「合理的、現実的」と言われてもその問題性の渦中にいる大衆は納得しない可能性があろう。つまり大衆はそうした「世界の道」の内容を知ったうえで従わなかったのではないか。知らないで操作されて戦争になったとは到底考えられない。

 筆者はこの問題性を放置した「世界の道」vsその「合理性、現実性」を理解できない大衆、という図式じたいが検討されないと相変わらずまた同じ事態が繰り返されると考えるものである。この問題性の克服がいかにして歴史的に可能だったか、可能か、可能になるかなどを大衆もふくめた「4潮流」などで、つまり一つの「合理的、現実的な世界の道」ではなく“複数の合理性、現実性、をもった複数の世界の道”の存在とその相互作用の解明である(雨宮昭一『占領と改革』岩波書店、2008年、同『戦時戦後体制論』同、1997年、前掲「戦後の越え方と協同主義」2016年論文など)。

 その中での具体的な問題性の克服に関連して一例をあげよう。戦時期に「満州」で「開拓」に関わり1946年に帰国し茨城県庁にはいり日本の「開拓」に関わった人物が「平地林が多いのに驚き」「いくらでも開拓はできるはずだな」ということをヒヤリングで聞いた〈茨城の占領時代研究会『茨城の占領時代ー40人の証言』茨城新聞社、2001年、283頁)。つまり「満州」に行かなくとも土地はいっぱいあったのである。見方と関係と制度を少し変えれば土地は「いくらでも」あり「戦争しかない」とは誰も考えないであろう。このようなことをあらためて想起できたのも本書が並外れて高い水準を有しているからであることは言うまでもない。